習近平、プーチン…独裁者が主役づら、国連に未来なし(月刊正論) |
下記は、月刊「正論」2016年1月号に載った拙稿です。
アメリカの深層 特別版
習近平、プーチン…独裁者が主役づら、国連に未来なし
島田洋一(福井県立大学教授)
国連の道徳的盲目
国連の不正・欺瞞の鋭い追及で知られる米ジャーナリスト、クローディア・ロゼットは、今秋の国連総会の様子を次のように描写している。
「世界平和と自由の促進を掲げて創設された国連が、その70周年総会の初日を中国、ロシア、イラン、キューバといったとりわけ悪名高い専制国家首脳のオン・パレードで飾った。民主と独裁を区別しない道徳的盲目によって、国連はますます、独裁者たちが憩うクラブハウスと化しつつある」(Claudia Rosett, “The U.N.'s Parade of Dictators”, Forbes, Sep 25, 2015)。
10年ぶりに国連総会の場に現れたロシアのプーチン大統領は、大量の難民を出すなど内戦状態が続くシリアについて、独裁者アサドこそが安定勢力だとした上、反アサド勢力に軍事訓練を施す如き行為がテロ組織ISの伸張をもたらしたと米国を批判した。ロシアは相前後して、反政府勢力複数の拠点に爆撃を加えている。親米とされる勢力も含まれていた。「プーチンはアメリカを笑い物にすることを楽しんでいる。鼻面を引き回すだけでは飽きたらず、目に指を突っ込んできているが、それでもオバマは動かない」(保守派キャスターのショーン・ハニティ)。世界中の独裁政権はロシアを頼りにせよ、物を言うのはオバマの訓話でなくロシアの爆弾だ、がプーチンのメッセージだったと言えよう。そのメッセージは中国が発するものでもある。
もっとも、今年の中国共産党指導部は、国連の没道徳性に関して、若干、高をくくり過ぎたようだ。
女性の権利を尊重する党指導部のもと、中国ではすべての女性が自己実現の機会を与えられていると総会演説で力説の上、「女性の権利のための会合」まで主催した習近平国家主席に対し(潘基文国連事務総長が共同議長)、米民主党の最有力大統領候補ヒラリー・クリントン前国務長官が、「習が、フェミニストを弾圧しつつ国連で女性の権利会合を主催?恥知らず(shameless)」とツイッターで批判し、話題となった。
「恥知らず」はまさに適評だが、ただ、米保守陣営では、果たしてヒラリーにその言葉を口にする資格があるのかという冷ややかな反応が一般的だったようだ。
共和党エスタブリッシュメント(既存エリート層)に立場の近いウォール・ストリート・ジャーナル紙の「クリントンの中国ポーズ―ツイッターでは人権にタフ、国務長官としてはさにあらず」と題した9月29日付社説は、「獄中の民主活動家かつノーベル平和賞受賞者の劉暁波と結婚していたという罪によって、中国当局に軟禁状態に置かれる妻の劉霞について、ヒラリーは国務長官在任中、沈黙を守っていた」、「強制堕胎への抗議など女性を守る活動に従事したかどで拷問・投獄され、後に、在北京米国大使館に保護を求めた盲目の人権弁護士陳光誠に関して、ヒラリーは全力で支援したと主張するが、実際は、陳が民間人権活動家の助けを借り、米議会公聴会に国際電話で参加、米議会と米世論を動かしたことで、初めて中国脱出への道が開けた」等々の批判的な論評を加えている。
ヒラリーは回顧録で、陳光誠は当初、国外に亡命すると安穏と引き替えに影響力を失ってしまう、中国に留まって大学で法律を学びつつ改革を唱えていきたいと希望した、その希望に添い中国側と話を付けたところ、陳が突如前言を翻して米国行きを求めるという「政治的火に油を注ぐ行為に出た」ため問題がこじれた、「陳は予測不能でドン・キホーテ的、中国指導部と同じぐらい手強い交渉者だった」等々と振り返っている(Hillary Clinton, Hard Choices,2014)。
一方、陳光誠の回顧録を見ると、「習近平の娘はハーバード大学にいる。なぜ自分には同じ権利が認められないのか」とカート・キャンベル国務次官補に繰り返し訴えたが、キャンベルは、中国内での平穏な勉学を中国当局が保証した、米政府も約束の履行を見守り続ける、中国当局の解決案は合理的、これを蹴れば反逆者の烙印を押され、予見しうる将来大使館から出られなくなる、外にいる家族とも会えなくなる、クリントン国務長官の訪中が迫っており時間がない、メディアと接触してはならない、などと「まるで中国当局と組んだかのごとき」対応を見せ、「ヤクザ的な政府との交渉となると、民主と自由、普遍的人権を最も一貫して唱えてきた国がかくも簡単に屈服するのか」と「強い心の痛みを覚えた」といった記述がある(Chen Guancheng, The Barefoot Lawyer, 2015)。
米共和党は、ヒラリー、陳光誠両者の証言の矛盾を突く構えを見せており、今後大統領選の過程で、論点の一つになるかも知れない。
左翼の迂回ルートとしての国連
アメリカは安保理での拒否権という特権を持つ立場だが、米保守派においてはそれでもなお、国連の意義を疑問視する論調が主流と言える。保守ハードライナーを代表する外交論客、ジョン・ボルトン元国連大使は、国連は役に立つのかと問われ、「時々、偶然にも」(Sometimes, accidentally.)と答えている。
一方、左派においては、国連はその政策を対外的のみならず対内的にも実現する上で重要な道具と意識され、活発なロビー活動が展開されてきた。国連諸機関の会合には多くのNGOが集うが、ほとんどが左派リベラル系である。日本もアメリカも、その点、事情は変わらない。
著名な憲法学者ロバート・ボークは、「アメリカの左派インテリ層は、その進歩的政策を、議会での多数派形成や裁判所での違憲訴訟など国内のプロセスに拠っては、完全に実現できずにきた。それゆえ、進歩的内容の国際条約をまず国外で作らせ、それをアメリカに押しつけることで、議会や裁判所を迂回した形での政策実現を図ってきた」と指摘する(Robert Bork, Coercing Virtue,2003)。
アメリカの憲法体制では、条約は憲法より下位にあるが、一般の制定法とは同格とされている。すなわち、ある条約が批准された時点で、「後法は前法を廃する」の原則に従い、相容れない内容の既存法はすべて無効となる。
条約の批准には上院の3分の2以上の賛成が必要で、ハードルは高いが、「世界の大勢」を武器にこのハードルを越えることができれば、保守派の抵抗が関門となってきた理念的対立法案を迂回ルートで通せることになる。
具体的にはフェミニズムや武器規制に関連した国際条約が、米国内における保守・リベラルのせめぎ合いの焦点となっている。
ユネスコをめぐる論争
1984年、レーガン政権は、「反米勢力による政治利用と目に余る放漫財政」を理由にユネスコ(国連教育科学文化機関)から脱退した。イギリスとシンガポールも後に続いた。
それから20年弱を経た2003年に至り、ブッシュ(長男)政権はユネスコへの復帰を表明する。ボルトンはこの決定を次のように批判している。
「ジョージ・W・ブッシュは、この措置によって単独主義批判を和らげられると状況を見誤った。予想された通り、『国際社会』はアメリカの拠出金をポケットに収めた上で、ブッシュ政権への仮借なき批判を続けた」(Weekly Standard, Nov. 14, 2011)。
しかし2011年10月、ユネスコがパレスチナを正式メンバーとして受け入れたことで、「イスラエルと講和を結ぶという約束を果たす前に、パレスチナに対して国家資格を認めたいかなる国連組織にも、米政府は資金を拠出してはならない」という国内法の規定に従い、オバマ政権はユネスコへの分担金支払いを停止した。
前出のジャーナリスト、ロゼットは、この間、ユネスコのイリナ・ボコバ事務局長が側近を引き連れて数次にわたって訪米、各地を周って資金提供の継続を訴えるとともにワシントンに連絡事務所まで設けたと、その行動を批判する。
「モスクワで教育を受けた59才のボコバは、冷戦期、ブルガリア国連代表部の館員として国連でのキャリアをスタートさせた。米政府は2009年、彼女の事務局長選当選を歓迎したが、それは主に、対立候補のエジプト文化大臣がイスラエル書籍の焚書で知られる反ユダヤ主義者だったためだ。ユネスコが最も優先するのは、世界の貧者への支援ではなく、自らへの支援だ。作年度のユネスコ予算の87%はスタッフの人件費、旅費、運営費に消えている。ユネスコのスタッフは半数以上がパリに居を構え、高給と贅沢な諸手当、年間30日の休暇を保証されている。アメリカの拠出金がないとホロコースト教育プログラムが中止に追い込まれかねないと彼女は強調するが、このプログラムの唯一人の常勤スタッフの給与および運営費の大部分はイスラエルからの拠出で賄われている。ユネスコ本部の負担はわずかで、ボコバがワシントン事務所をたたむだけで簡単に捻出できる」。(Weekly Standard, April 9, 2012)
保守系シンクタンク、ヘリテージ財団で国連問題を扱うブレット・シェーファーは、ユネスコは文盲の解消などを中心事業とした当初こそ意義を有したものの、1950年代後半からソ連圏、第三世界の大量加盟があり、左翼的、反米・反イスラエル的傾向を強めて以降、マイナス要素の方が多い存在になったと総括する。また、例えば「平和の推進に向けた情報拡散」など、情報テクノロジーとインターネットの発達した現代において国連組織が担う必要のない無駄な事業も多いという。そして、意義ありと認めた特定プロジェクトには個別参加が可能であり、ユネスコ本体の正式加盟国であるメリットは皆無と結論づけている。
実際アメリカは、ユネスコから脱退中も、世界遺産委員会や政府間海洋学委員会などの分科会には資金を拠出し、議論にも参加していた。
国連機関にも競争原理を
果たして国連の改革は可能かについて、ボルトンは次のように述べる。
「私は、意味のある国連改革の道はただ一つという結論に至った。すなわち、現行の割当拠出制(assessed contribution)は自発的拠出制(voluntary contribution)に改められねばならない。それなくして、いかなる試みも成功しない。機能する事業にのみ資金を拠出し、コストに見合った結果を求めるという態度をアメリカが明確にすれば、国連のシステム全体に革命的変化が起ころう。国連官僚における『既得権』意識は打ち砕かれる。この改革の道を否定するのは、人類史が証明してきた市場メカニズムの有効性を否定するに等しい。自発的拠出制とは、要するに国連も『市場テスト』に掛けようというに他ならない。加盟国は、意義なしと判断した事業からは資金を引き揚げることができる。国連以外の事業体や組織の方が効率的と判断すれば、そちらに資金を振り向ければよい。国連を優遇する理由はどこにもない」(John Bolton, Surrender Is Not an Option, 2007)。
国連に自浄能力はなく、有志諸国が、自発的分担制へと自発的に移行していく他ないだろう。国連は、その存続自体が目的ではなく、無意味な機関は淘汰されねばならない。
ボルトンは、さらに最近の論説文で、「アメリカが自発的拠出に移行した場合、考えうる最悪の結果は、せいぜい総会で投票権を失うぐらいだ。総会の1票など実質上何の意味もなく、真の改革途上における小さな不都合でしかない。一方、安保理における我々の投票権および拒否権は、国連憲章の改正がない限り、奪われることはない。そしてもちろん我々は、そうした憲章改正には、拒否権を発動する」と述べている(Boston Globe, Oct. 15, 2015)。
「アメリカは他の国連メンバー、特に多額拠出国である日本、ドイツ、英国、フランスに対し、我々と歩調を合わせて完全な自発的拠出に移行するよう強く促していかねばならない」とボルトンは言うが、実際、アメリカ一国が割当拠出への決別を宣言しても、他の国々が唯々諾々と分担金を払い続けるなら、国連改革という点で効果は半減する。合わせて国連経常費の約4割を負担する日米が協調、率先して動くことが鍵になるだろう。
なお、かつてニューヨークで国連大使同士としてやり合い、現在はロシアの外相を務めるセルゲイ・ラブロフについて、ボルトンは、「終始細かく条件闘争を仕掛けてくる」中国当局者との比較で、回顧録に次のように記している。日本の外交当局に何らかの参考になるかと思い、引いておく。
「ロシアははるかに予測困難だった。そして、より一層、土壇場での大芝居―あるいは、見方によってはヒステリー―に走りがちだった。セルゲイ・ラブロフは、ニューヨークで国連大使を務めつつ、この特技を完成させていた」。

