「対華21カ条要求――加藤高明の外交指導」(17) |
以下は、旧稿「対華21カ条要求――加藤高明の外交指導」(『政治経済史学』259、260号、1987年)のつづきである。(以前の掲載分は、この画面左のフォルダ「論文集」中にあり)。
第4章 加藤高明の外交指導-アメリカ-
第一節
「二十一カ条要求」を契機に、中国における対日感情は大きく悪化した。この交渉の負の遺産中最大のものは、無論この点であろうしかし、事は日中関係のみ留まらない。いずれの外交史の教科書にも記されている通り、「二十一カ条」は、アメリカのいわゆる対日不承認政策の歴史においても特筆さるべき事件である。もちろん、日米関係がここから一直線に悪化の道を辿ったわけではない。ただ、中国を舞台に繰り広げられていく日米のせめぎ合いの中で、かつて日本の乱暴な「二十一カ条要求」にアメリカは「不承認宣言」を発して立ち向かい中国を助けたというイメージが、ある基調音をなして、日米関係の悪化に拍車を掛けたことは間違いない。
しかし、事実はこのイメージが示すように単純なものではない。日米の外交当局者間に、相当な意思疎通の不備があった。また、「二十一カ条」当時のアメリカ政府の姿勢は、必ずしも一貫したものではなく、ある種の矛盾すら見せている。
中国側が日本の最終提案(最後通牒)を受諾して交渉が事実上終結した直後、五月十一日付で発せられたアメリカ政府の対日通告(「不承認宣言」と言われるもの)では、「米国及び米国民の中国に於ける条約上の権利を侵し、また中国の政治的・領土的原状そして『門戸開放政策』として通常知られる中国に関する国際的政策を侵すような日中間の如何なる取極も、米国政府は容認することが出来ない」とされている。
しかし日中間で交渉が進行中の三月十三日付で発せられた対日通告(通常、当時の国務長官ウィリアム・ジェニングス・ブライアンの名を取ってブライアン・ノートと呼ばれる)においては、「二十一カ条」原案の第三号までと第五号第二・第五・第七項を「此際は何ら問題を提起するつもりはない(ThisGovernment, therefore, is disposed to raise no question, at this time)」、「中国に於ける米国並びに米国民の現行の権利利益に対する特別の脅威があるとは思わない(thisGovernment perceives no special menace to the existing rights and interests ofthe United States or of its citizens in China)」と容認し、特に問題としたのは、第五号中の第一(顧問)、第三(警察)、第四(兵器)、第六項(福建)のみであった。ブライアン・ノートと呼ばれるものの、大統領ウッドロー・ウイルソンも事前に承認したものであった。
ところで、最終的な日中間の取極では、アメリカが問題とした項目はすべて落とされるか、あるいは米側の意向に添った修正が加えられている。その他の項目も原案に比べれば、大なり小なり緩和されている。
従って、最終取極について発せられた五月十一日付通告が、原案について発せられた三月十三日付通告(ブライアン・ノート)より一層好意的になっているなら話も分かり易いのだが、逆に「不承認」に傾いた、というのは一見筋が通らない。交渉の過程で不信感が生じ、増幅されたと見る以外ないが、こうしたアメリカのこうした態度変化はいかなる経過を辿ったのであろうか。
通説は、それを次のように説明する。以下に紹介するのは、アーサー・リンク、細谷千博、北岡伸一等々の論者に依って構成されてきたものである。
①駐北京公使ポール・ラインシュが、日本は誓約に背き第五号を強圧している旨の報告を、相当誇張された形で続々と本国に送ったこと、また、丁度第五号の討議に入る時期に武力示威を行うことで、日本側自らそうした印象を強めてしまったこと。
②ラインシュから、「日本側は、アメリカが日本の要求を承認しているかの如く述べ、それを、中国を圧迫する手段に用いている」といった報告が何度か入り、更に、アメリカは日本を支持している旨の大隈首相談話の報道などがあったため、それらを打ち消す措置の必要をウイルソンが感じたこと。
③在華有力宣教師たちが、日本のやり方を非難した連名書をワシントンに送り、アメリカが立ち上がるべく、ウイルソンの決意を強く促したこと。
これらの要因が重なってアメリカの政策転換が生じた、というのが通説であり、確かに何れも重要な要因に違いない。が、これだけでは、まだ説明として不十分である。この他に二つ、アメリカの態度硬化をことさら促進する大きな手落ちが、加藤の外交指導の中に存在した。本章では、その二つの問題点を取り上げ、アメリカの態度変化をより実態に即した形で捉えたい。
第二節
第一の問題点は、第五号第三項(警察)の扱いに関わっている。この項目に関して為された説明が、アメリカに対してだけ、他の列国に対するものとは若干異なっていたところに問題の発端がある。
米側から来たブライアン・ノートに対し、加藤は、日本側の立場を説明した返書を作成し、珍田捨己駐米大使宛に送付した。ところが、珍田はこの返書を暫く手元に留め、加藤に次のような進言を行っている。(三月二十日着電報)
希望条項中、満州警察権、福建投資優先権の如きは頗る重要事項と思考せらるるを以て、希望条項は総て勧告に外ならずとの御説明は、此際之を申入れざる方可然かに愚考す。
既に、希望条項をめぐる種々の疑惑が報じられている状況下、こうした進言を敢えてする珍田の外交感覚は大いに問題であるが、更に問題なのは、この進言を加藤が受け容れたという事実である。即ち、第五号は勧告に過ぎぬ旨、従来、駐日米国大使に説明してきた経緯があるので、「其辺御含ありたし」と但書は付けているものの、「希望条項は総て勧告に外ならざる旨の説明は貴官の裁量に依り見合せられ差支なし」と、珍田の提案を容れている。米側に対する珍田の回答伝達は、これを踏まえて行われた。その時の模様を加藤に報告した珍田の電報から引いておく。
我希望条項中、福建省に於ける優先権竝に満州に対する警察権に関する主張は頗る重要の問題と思考したるを以て、二月二十二日国務長官に我希望条項を内告したる際及其後の会談に於ても、本使は可成丈要求条項と希望条項との軽重に言及することを避けんが為、前後両条項を同時に内告せざる理由の説明としては後者は従来の懸案に係るものなりとの点に重きを措きて弁明を試み、国務長官をして希望条項は我に於て強ち之が貫徹を期せる次第にあらずとの概括的推断をなさしめざらんことに留意し、先年南京事件解決に際し張勲革職を希望条件としたる事例抔援用し、支那側体面の尊重に渉る事情論をも述べ、希望と謂ふも支那側反対の場合には容易に撤回し得るが如き意味合のものにあらざる旨を説き置きたる来歴もあり、又御訓令の趣旨に照らすも福建省に対する我希望の如きは帝国政府に於て頗る重大視せられ居ること明瞭なるを以て、此点は寧ろ之を控え置く方可然やに存じ、経伺の上右様省略方取計ひたる次第に有之候
アメリカ側の史料を見ても、この報告にある通り、珍田は、米側が異議を唱えた第五号第一、三、四、六項のうち、特に第三項(警察)、第六項(福建)に関して、日本側は強い決意を持っていると伝えていることが分る。
ところで、ブライアン国務長官は、珍田から手交されたメモをウイルソン大統領に回送するに当り、第一項、第四項、第六項の三つについては、自分は日本側の説明で納得出来た旨を述べている。
すなわち、第一項(顧問)については、これは「単なる示唆(it isonly suggestive)」であって、「日本側がそうした示唆を行うことに、別に何の問題もない」。第四項(兵器)については、日本側の真意は、日本にとって目下敵国であるドイツ・オーストリアから中国が武器を購入している現状に対する不満であることが分った、とした上、「敵国が中国に武器を供給することに彼らが反対するのは、不自然なことではない」。第六項については、「福建が台湾の対岸に位置することを考えれば、日本の感情は、それほど不自然ではない」とし、アメリカが進んで、日本側の不安を取り除く措置を講ずることがこの際望ましい、と付言している。福建問題がこのブライアンの提言の線で決着を見たことは、前章で述べた通りである。
結局、ブライアンが問題視したのは、第三項のみということになろう。第三項については、「満蒙に限定されていることが分る」としているだけで、特に理解を示すようなコメントは付けていない。これ以前、二月二十二日(日本が第五号を内告した日)に書かれたウイルソン宛メモの中でも、既にブライアンは、警察合同がたとえ満州に限定されたものであっても、満州を日本に譲渡する気持がない以上、中国がこの条項に反対するのは当然の権利である、と述べていた。そうした経緯に加え、珍田が、特に第三項については、「容易に撤回し得るが如き意味合のものにあらざる旨」を強調したわけだから、日本側回答にブライアンが納得したとは考えにくい。
一方、ブライアンから報告を受けたウイルソンは、福建省に関するブライアン提案に賛成し、アメリカが調停に入ることで問題なしとしながら、他の項目については、「(珍田の説明は)率直に言って、充分に納得出来るものではないと思う」と、日本側回答への不満を明らかにしている。
こう見てくると、結局米政府としては、第五号七項目中、第一、第三、第四項、とりわけ第三項(警察)について、日本の動きに危険なものを認めた、と言ってよいだろう。
これは大いなる日本側の外交的失態であった。なぜなら第三項は、これよりかなり以前(三月九日)、既に撤回済みだったからである。ところが、意志疎通の不備から、加藤は、その事実をかなり後になるまで知らなかった(第二章参照)。それ故、米側が特に問題視していた項目について、実は撤回済みであったにも拘らず、「容易に撤回し得るが如き意味合のものにあらざる旨」をわざわざ強調し、徒らに不信を煽っていたわけである。馬鹿げた話と言わざるを得ない。この失態については、日置、加藤、珍田のそれぞれに相当程度の責任があるが、日置・加藤間の行き違いについては既に第二章で詳述した。ここでは加藤・珍田間の問題点を取り上げ、詳しく論じたい。
まず珍田だが、先の電信にあった通り、珍田は、第五号中特に第三項(警察)、第六項(福建)は「頗る重要事項と思考」したため、自分一個の判断で、これら項目は「容易に撤回し得るが如き意味合のものにあらざる旨を説き置きたる来歴」があると述べている。が、第六項はともかく、第三項に関する限り、この珍田の態度は明らかに問題である。
加藤が第五号の内容を珍田に知らせたのは二月十七日だが、その際、前日内定した「最終譲歩案」(第一修正案)も同時に通知している。そして、最終譲歩案には、第三項は「差向撤回すること」と明記してある。つまり、第三項は撤回予定の項目である旨、予め出先大使にも伝えたわけである。それ故、第三項は日本が特に重視する項目で簡単に撤回し得ない旨米側に強調した、という珍田の行動は、訓令の枠を恣意的に踏み越えたものと言わざるを得ない。
しかも、そうした「来歴」を記した珍田の報告書が加藤の手元に届いたのは、四月二十一日で、その時までに既に米側は態度を硬化させていた。加藤はその時点まで、珍田の対米説明が訓令に適合していない事実を知らなかったと思われる。三月下旬のやりとりでは、珍田は、第五号はすべて希望に過ぎずとの説明は「省略」したとの消極的表現しか用いておらず、更に踏み込んだ主張を行ったことには言及していなかったからである。すなわち、珍田の独断専行の色彩が強かったと言える。
にも拘らず、やはり加藤の側にも責任はある。三月二十日の電報において珍田は、特に第三項、第六項と指定した上で、希望条項は勧告に過ぎずとの説明は省略すべきではないかと述べている。加藤はこの進言を容れたわけだが、逆に、第三項は撤回予定であり、「頗る重要」と見做す珍田の認識は誤りである旨、釘を刺しておくべきだったろう。
更に、もう一つ問題がある。意思疎通の不備から大幅に遅れたとはいえ、四月二日には、加藤は日置が第三項を撤回した事実を確認するに至っている。米側の態度硬化が決定的となったのは四月十五日前後であったから、速やかに撤回の事実を米側に伝えていれば、その後の展開も違ったかも知れない。ところが、加藤はその措置を取ろうとしなかった。何故か。
ここに、事を複雑にした事情があった。ブライアン・ノートへの日本側回答が手交された後、それを踏まえて米側から再度の意見通告が為されたのだが、ジョージ・ガスリー駐日大使を通じて伝達された米側見解なるものは、ウイルソンの意向を充分反映したものとは言い難いものであった。三月二十九日、本国政府からの電報を携えて外務省を訪れたガスリーは、福建に関する調停案を示し、顧問・兵器問題について、「日本が不利な差別待遇を受けない」という趣旨の取極であれば差し支えない、とした上、第三項について次のように述べている。加藤の応答も含め、引用しておく。
大使 ………又警察の件は、満蒙のみに限り且つ日本人の住居する区域に限ることならば米国政府に於て異存なしと云ふ趣旨なり。
大臣 然らば其最後の点は帰する所、日本人の居住する地方に限り特別の制度を設くべし、と云ふこととなるや。
大使 先づ左様申す様なる次第ならん。
このガスリーの話を受け、加藤は早速、日置に次のような電報を打っている。
(まず、顧問・兵器問題に触れた後)……警察問題に関しては、満蒙に於て日本人の居住する地方に限りて特別の制度を設くると云ふ義なれば別に故障なしとのことにて以上の諸問題に付ては米国政府に於ても左して重きを措かざるものの如く察せらる。
この加藤の認識は甘く、米側は第三項を軽視していたわけではなかった。ガスリーに送付された電文に、ウイルソン(及びブライアン)が草案段階で施した修正の跡を見れば、そのことがはっきりする。
以下に引用するのは、ウッドロー・ウイルソン文書(ThePapers of Woodrow Wilson)中にある史料で、編者の注によると、〈 〉の中はブライアンもしくはウイルソンによって削除された部分、イタリック箇所はウイルソンが付加した部分、[ ]の中はブライアンが、恐らくはウイルソンの指示によって書き加えた部分、とのことである。
Third: 〈Inthe matter of〉 [If China is disposed toconcede] police supervision language should be employed explicitly limiting the application of this request to Manchuriaand eastern Mongolia, and to such places in these provinces as have a considerablepercentage of Japanese subjects. It might be definitely based upon proportionthat is, the provision for [joint] supervision might automatically becomeoperative when a certain percentage of the population was made up of Japanesesubjects.
まず目を引くのは、一行目の修正箇所である。「~に関して(in thematter of)」という無色の表現を排し、「もし中国が譲歩する気になった場合には(If Chinais disposed to concede)」とすることで、強制は許されないとのニュアンスを出そうとしたものと見られる。後の部分と併せ読むと、まず「明確に(explicitly)」地域・要件を規定し、更に相手が「譲歩する気になった場合」に限る、とすることで二重の枠を嵌め、日本側に警告を発した内容、というのがウイルソン自身の認識だったのではないか。
もっともそれは、修正の跡が残る文書を見、かつウイルソンのその後の行動に照らして納得出来る程度の微妙な話であって、加藤が、「米政府に於て左して重きを措かざるものの如く察」したとしても強く非難は出来ないだろう。しかしこの誤認が、事態の深刻化に貢献したことは間違いない。
もし加藤が、米政府が第三項を重視していると明確に認識していたなら、四月二日に第三項撤回の事実を知った直後に、その旨を米側に伝えたはずである。ところが、その数日前(三月二十九日)のガスリーとの会談で、米側は第三項を問題視していないとの感触を得たため、特に撤回を米側に伝える必要を認めず、放置してしまったのである。
ところが皮肉なことに、この同じ日(四月二日)、ラインシュから本国政府に向け、日本が警察合同を頑なに主張し続けている旨の報告が送られており、この報告に基づいて米政府は、日本側は第三項を強制しているとの確信を持つに至った。このラインシュ報告は、もちろん事実を正確に反映していない。日置の実際の言動は次のようなものであった。
第三項警察合同の件に関しては、貴電第八八号御訓辞の趣旨に依り、曩に之が撤回を声明したる次第なるを以て、第五号中の一項としては之を商議する必要なきも、順序として一応本項撤回に関連し、満蒙に於て内地雑居行われ日本人が支那の警察規則に従ふ場合には必然日支警察合同を実行するか若くは顧問又は教習の名義にて支那の警察に日本人を傭聘することを考慮せざるべからざる場合あることを特にここに声明し置く旨本使より陳述し、以て本件に関し満蒙に於て他日提議をなすの地歩を存し置けり。
日本側は、今回は撤回するが将来再び提起するかも知れない、と述べたに過ぎず、受入れを強圧的に迫ってはいなかった。明らかに米側の誤認である。こうした米側の認識上の問題に、日本側内部の外交的混乱が加わり、誤解を相乗的に拡大させたわけである。
第五号第三項は、日本側においても、やや無理な内容との認識があった。それゆえ、他の項目に先駆けて撤回を決めたのである。この項目をごり押ししていると取られないよう、情報戦略の面で特に注意を要したはずである。ところが実際には、日本の外交当事者間で単純ミスが続いた。
実際に無理強いしていた項目に関して批判されるなら、やむを得ないが、すでに撤回していた項目を巡って無用の紛糾を招いた責任は、明確に外務省にある。
第三節
米側の態度硬化を促進したもう一つの要因は、第三号第二条(漢冶萍公司の運営)を巡る日本側の不明瞭な動きであった。その内容が、拡大解釈を招きかねない曖昧さを持っていたこと、要求条項の一つでありながら希望条項と共にその存在が列国に伏せられたこと、希望条項を列国に内告した際にもなお言及しなかったこと、要求条項のうち唯一途中で撤回されていること等々、不自然な面が多々あった。
まず重要なのは、列国への内告に際し、なぜその存在を伏せたのかである。第五号については、単なる希望に過ぎないから、との弁明が一応成り立つが、第三号第二条は「要求」として出されたものである。まず次の史料を見てみたい。第五号の存在を聞き知った米政府からの問い合わせに対する加藤の応答の一節である。
抑支那に対し要求したるは、過日御内告に及びたる該条項の外に一も無之。即ち、同国に対し要求したる事項にして貴国に内告せざるものは毫も無之次第なり。只右要求条項の外に、右と同時に日置公使をして支那政府に対し実行を希望する旨申入れしめたる事項は無之に非ず。然れども右は希望にして要求に非ず。
第五号を知らせなかった事情の説明だが、第三号第二条については何も触れていない。
ここで若干の注釈を加えておきたい。当初列国に内告された要求条項は、全部で十一カ条であった。そこに第五号(七項目)及び第三号第二条の計八項目を加えてもなお二カ条分不足する計算になる。これは、原案第二号(七項目)のうち、第二条(満蒙土地所有権)、第三条(居住往来権)、第四条(鉱山採掘権)の三つを、「満蒙に於ける居住権竝土地所有権、特に指定したる鉱山の採掘権を日本に与ふること」と一つにまとめて通知したためである。なお、すべての条項について、文章は簡略化されている。それ自体は不自然なことではない。、第三号については、次のような形で内告されている。
日本と漢冶萍公司との密接なる関係に顧み、将来適当なる時機に於て同公司を日支合弁となすことの主義上の取極
これでは第三号第一条の意味だけで、第二条は伏せたと言われても仕方がないが、加藤の意識では、第二号第二、三、四条を一つにまとめたのと同様、第三号も二つの項目を一つにまとめたに過ぎない、ということだったのかも知れない。要求条項中内告しなかったものは一つもない、と断言する時、加藤が自らに用意していた弁明は、そのようなものであったろう。
しかし、ある第三者が、中国側に渡された原案を入手し、第三号第二条の秘匿は明白であると論じた場合、有効な反論は難しいであろう。二十一カ条全体の内容が列国に伝わっていることが明白となった二月中旬の時点で、第五号内告と同時に、第三号第二条についても、善後策を講じる必要があったはずである。
もしあくまで、第三号第二条を伏せたままに、後に発覚した場合、日本外交への不信が一層高まることになる。加藤も苦慮したのか、二月十七日、日本側の出先大使たちに第五号の存在と内容を通知した際には、まだ第三号第二条へは言及はない。しかし、日本が揚子江流域の鉱山採掘権を要求した、といった外紙の報道が出るに及んで、同盟国イギリスの権益とぶつかる関係上、少なくとも駐英大使には知らせる必要を認めたようである。。二月十九日、加藤が井上に宛てた電報の末尾の部分を引いておこう。
或る新聞紙は此外尚、日本は揚子江流域に於て鉱山採掘権を要求し居るが如く伝へ居れりと雖も、右は全く無根なり。或は、要求第三号漢冶萍公司を日支合弁と為すに関連し、同公司所属鉱山付近に於ける鉱山に付ては同公司の承諾なくして其採鉱を同公司以外のものに許可せざるべき事を要求し居れるに付、或は之を誤り伝へたるものなるべきか。右は同公司所属鉱山に接近せる二、三の鉱山を指すものにして、全く公司の利益を防御するの手段に外ならず。又貴電第九六号によれば、北京タイムス通信員は、日本は支那の領土保全擁護は日本のみ之を担当すべしとの要求を固執し居れる事を報道し居れりとの事なるが、右の如きは全然跡方もなき義にして、之を以ても該通信員の報道の極めて不正確なる事を見るに足るべし。以上の次第はタイムス主筆に対しても貴官の裁量により我希望条件内告と共に説述せられ差支なし。内告済の上は電報ありたし。
第三号第二条の存在を暗示してはいるが、第二条後段の「その他直接間接公司に影響を及ぼすべき虞ある措置」云々については、追及された時の説明が難しいためか、なお触れていない。
なお加藤は、東京にいる各国大使からの問い合わせに対しては、「付近の鉱山」云々は希望条項との趣旨の説明もしていたようである。加藤との会談中にガスリーが、「支那に対し希望条項として御申出相成居るものの中、漢冶萍公司に関するものに付帯し、其近傍の鉱山を他人をして採掘せしめずとのことある趣曩に伺ひたるが」云々と述べていること等からそれが窺える。
ところで、その後日本側の大使達からは、日本外交文書を見る限り、この問題について特に報告がなく、列国から異議が出されたという記録も見られない。結局、中国側が強く受入れを拒否したこともあり、最後譲歩案(第二修正案)提出の際、加藤はこの項目の撤回を決めた。そして、最後譲歩案を列国に内示する際の各大使宛訓令に、「尤も、任国に内告しあらざる点、例へば漢冶萍に関する第二条、満蒙問題前文の件の如きには言及に及ばざるは申す迄もなし」と但書を付けている。ここに、加藤にはやはり第二条を伏せる意思があったことが窺える。最終的に撤回したのだから、そもそも無かったことにしておけばよい、と加藤は思ったかも知れない。しかし、実際には、この第三号第二条の秘匿が、米政府の態度硬化に駄目押しの役目を果していた。
四月十四日、日本が第五号を強圧している旨のラインシュ報告に接したウイルソン大統領は、「率直に言って、私は日本側が我々に与えようと努めてきた保証を信用することが出来ない」と書き記すなどかなりの苛立ちを見せていた。二日後の四月十六日、ラインシュから別の書簡(電報ではなく郵送されたもの。三月六日付)が届く。それを読んだウイルソンは、「我々は、中国を守るため実行可能なあらゆる手段を試みねばならない」とブライアン国務長官に伝え、対日姿勢転換の意思を明確にした。
このラインシュの書簡は、日本側から内告された要求内容と中国側から伝えられたそれとを並置し、両者の食い違いが分るよう表にしたものであった。後者にはある第五号及び第三号第二条の部分が、前者では空白になっている。この書簡をウイルソンに回送するに当って、ブライアンは次のようなコメントを付している。
幾つかの食い違いの存在に気付かれることと思います。この表を作成した時点では、要求条項に加えて(日本側から米側に、後で)提出された希望条項のコピーは、まだラインシュ氏の手に渡っていませんでした。
第五号の部分の空白は、日本側からその後通告があって埋められた旨を述べているわけで、となれば、第三号第二条の秘匿のみが浮かび上がる結果となろう。事実、上記のように述べた後ブライアンは、以下メモの最後まで、漢冶萍公司関係の要求が門戸開放理念に反するものであるとの意見を(ただそれだけを)書き記している。
ブライアンのメモと共にラインシュ書簡を受け取ったウイルソンは、「情報はより完全になった」として、「中国を守るため実行可能なあらゆる手段を」云々という先に引用した記述を続け、そして最後に、ブライアン同様特に第三号を取り上げ、「漢冶萍公司に関しては、中国側の立場があらゆる角度から見て間違いなく正当である」と強調している。加藤は気付いていなかったが、第三号第二条の秘匿のつけは大きかったと言える。
もっとも、ウイルソンの反応には唐突の感もある。「情報」はそれ以前にも何度も入っていたからである。国務省極東部長ウイリアムズやラインシュは、第三号第二条が伏せられていること、及びその内容が危険な性質であることを、かなり早い段階から指摘していた。が、ブライアンもウイルソンも、特に行動を起こさず、進言は放置された。ブライアン・ノートでも、この項目には全く触れていない。
恐らく二人とも、漢冶萍公司に関する認識が薄かったこと、日本側の情報にまだ信を置いていたこと、第五号に注意を奪われていたことなどから、動きを見せなかったのであろう。もし米側が、早期に第三号第二条を問題にしていれば、加藤も早期の明確な撤回などで応じたかも知れない。ところが、米側指導部が問題視するタイミングが遅く、表立った異議表明もなかったため、うやむやに葬れると加藤が考えた結果、土壇場で米側の態度硬化を招く結果となった。日本は幾重にも不誠実な情報操作を試みたというイメージを残すに至ったわけである。
(つづく)

