加地伸行教授の靖国論(2001年6月正論) |
産経新聞 2001.6.18
【正論】中韓の「靖国参拝」非難はなぜ
墓参と誤解しているところに原因
大阪大学名誉教授 加地 伸行
小泉首相は靖国参拝を明言している。見識のある首相である。日本遺族会の会長でありながら、首相在任時に靖国参拝をしなかった橋本龍太郎氏とは、人間として格が違うことを示している。
日本国首相のこの靖国参拝に対して、中国・韓国が非難している。しかし私は、彼らが非難するたびに、いくつかの疑問を抱くのである。
その第一。中国政府は形式上はともかく、実質的には中国共産党の政府であり、共産主義に基づいて運営をしている。当然、霊魂の存在を認めていない。
古くは、毛沢東の「湖南農民運動視察報告」(一九二七)において宗教を徹底否定し、「神を信ずるのか、農民会を信ずるのか」と問い詰めている。
そして現中国政府成立以来、無神論を正統とする中国哲学史の研究が進められ「精神から〈霊魂〉なるものが産出されたが、肉体から離脱した霊魂など存在しない」とする唯物論が中国政府の立場となっている。
とすれば、われわれ日本人が靖国神社において英霊を呼び降して、その霊魂と出会い慰霊する行為、いわばシャマニズムは、彼らにとって何の意味もない嗤(わら)うべき無知な行為のはずである。
にもかかわらず非難するのは、共産主義者として、霊魂の存在を認めるということなのか。
第二。極東軍事裁判いわゆる東京裁判は、裁くべき法律なくして裁いたリンチであり、戦争犯罪人など本来存在しなかった。
仮に戦犯とするとしても、各戦犯は絞首刑をはじめすでに判決どおりに受刑した。すなわち現世における決着はついている。
その死者に対して、死後、いかなる罪がまだあるというのか。死刑の判決執行を受けた死者に対して、死後もさらに罪を与える法律がどこに存在するのか。
死者の死後に対する法律などどこにも存在しないのである。にもかかわらず、中国・韓国はいわゆる〈A級戦犯〉に対して東京裁判が永遠の罪を与えたように言っている。それは、彼らの主観的解釈にすぎない。
第三。日本人は死者に鞭打つことをしない。われわれ日本人は、死者に対して悪口を言う人間を軽蔑する。
たとえば、先立って田中真紀子氏は、小渕恵三・元首相の死に対して、嘲って「おだぶつ」と評した。そのような発言は、人間として恥ずべきものとするのが、日本人なのである。
いわゆるA級戦犯を鞭打つ中国・韓国の行動は、実は日本人の心の深いところで反中・反韓の気持を増大させている。それが分からない彼らの政治センスのなさ、悪さは、いかに日本人について、勉強不足であるかということを示している。
仮に、中・韓の首脳が、みずから進んで靖国参拝をするならば、それを日本人は熱狂的に歓迎するであろう。おそらく、大多数が親中・親韓となることであろう。
さらに、遺体の問題がある。靖国神社は墓地ではない。あくまでも、参拝者の一心の祈りの下に霊魂が天空から帰り来て、依り代(しろ)に憑(よ)りつく。そして英霊と参拝者との出会いがある。これが参拝者の慰霊である。それは、霊の内の魂(こん)(精神の霊)との出会いである。
一方、霊の内の魄(はく)(肉体の霊)は墓に眠っているので、墓参によって魄と出会い、慰霊する。その墓は各人の郷里その他のところにあり、遺族は各自に墓参し魄と出会っている。
魂のほうは、各自の家の仏壇に祭られた位牌を依り代として、遺族が祈れば帰り来る。すなわち、英霊の魂は、実家の仏壇にも、靖国神社にも一心の祈りの下に帰り来るのである。
しかし、中国・韓国は、どうも靖国参拝を墓参のように誤解しているふしがある。
墓には遺体があり、墓参による出会いは個別的具体的であるが、依り代との出会いは、一般的抽象的である。
遺族でない私の靖国参拝は、英霊全体に対する漠たる慰霊であって、いちいちA級戦犯の方々を想い起こして祈るわけではない。そういう抽象的な参拝がふつうなのであって、軍国主義を興(おこ)そう、中・韓に攻めこもうと祈る馬鹿などいないのである。
日本人の心に基づく小泉首相の靖国参拝は歴史に残るであろう。(かじ のぶゆき)

