慰安婦・日本政府「幻の反論書」解説 |
よく踏み込んだと思える部分と、驚くほど不適切な部分が混在している。ぜひ雑誌を手にとってもらいたい。
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「幻の反論書」㊦解説
「売春施設」と断定せねば禍根を招く
島田洋一(福井県立大学教授)
法律論は首肯できるが…
「日本軍慰安婦は強制連行された性奴隷」と認定した1996年2月のクマラスワミ報告に対し、日本政府が、国連人権委員会(現人権理事会)の関係国に一旦配布しながら撤回した慰安婦問題「幻の反論書」の後半、すなわち今号掲載分は、「第4章 法律面の反論」と総括の「第5章 勧告に対する日本政府の見解」からなる。
まず法的な一般論として反論書は、「完償条項」(他に未償請求権があっても追及しない)が盛り込まれた平和条約や請求権協定の締結後に「個人の損害に関わる請求権(個人請求権)」を取り上げることの不当性を説く。理路整然とした内容であり、教科書的に行き届いた整理がなされている。法律論としては申し分ないであろう。
「性奴隷」をめぐる議論をみてみよう。「日本帝国陸軍により設置された慰安所制度」は「戦争犯罪」であり、「人道に対する罪を構成」し、「軍隊的性奴隷との用語が正確かつ適当」と結論づけるクマラスワミ報告に対し、反論書はこう応えている。
1926年の奴隷条約以来、国際法で定義された「奴隷制度」とは「その者に対して所有権に伴ういかなる又はすべての権力が行使されている」状態(すなわち自由も金銭的報酬もない)を指し、慰安婦については「かかる地位又は身分」は確認されておらず、「奴隷制度に該当すると断言することは困難である」——。やや弱い言い回しながら、性奴隷との認定は斥けている。
問題は慰安所の性格を巡る反論書の続く記述である。「そもそも右(慰安所制度)が売春を目的とするものであるか否かとの議論はさておき、醜業婦売買の規制に関する一連の条約との関係では、売春宿の経営や売春のための場所の提供を処罰の対象としたのはあくまで(戦後の)1950年の条約が初めて」で、法の遡及的適応によって日本を国際法違反とするのは不当である——。
後段の法律論はその通りだ。ただ、前段で「売春を目的とする」施設であったという基本的事実を曖昧にしたため、副次的な法技術論で立場を補強する必要があると考えたか、反論書はここから奇妙な世界に入り込んでいく(総括の章でも、「売春を目的とするものであるか否かとの議論はさておいても」と再び「さておく」姿勢を取っている)。
「いわゆる『従軍慰安婦』の制度が奴隷制度に該当すると仮定する場合であっても」とわざわざ不必要な仮定を設けた上、反論書はこう述べる。
当時の国際法上、「奴隷制度」の定義が確立していたとしても、一般に、「奴隷制度」の禁止が慣習国際法上確立していたとまで言うことは出来ない。……また、1926年の奴隷条約自体については、我が国は締約国ではない。さらに、もとよりその規定内容は、「あらゆる形態の奴隷制度の完全な廃止を漸進的に及びできる限り速やかに実現する」ための「措置をとることを約束する」(第2条)ものであり、「奴隷制度」の禁止そのものを義務付けるものではないところ、同条約締約国における「奴隷制度」の存在が直ちに当該国の同条約違反を構成するものでもないと考えられる。
一体、何のためにこんな議論をしたのか。これでは、「日本は奴隷制に甘い」「こうまで理屈をこねる以上、やはり性奴隷だったのでは」といった誤った印象を与えるだけであろう。
売春という用語を前面に出さないについては、女性たちの体面への、日本政府としての配慮があったかもしれない。しかし、強制連行、性奴隷、集団レイプ云々と次々言い募ってくる相手に対し、そうした配慮は有害無益である。あえて無機的に、「慰安所は売春施設であり、慰安婦は奴隷ではない」と明確に定立しておくべきである。
「旧ユーゴ・ルワンダ」との併記も無用
最後の総括の章では、「特別報告者の指摘を受けるまでもなく、我が国は、いわゆる従軍慰安婦の問題は、当時の軍の関与の下、多数の女性の名誉と尊厳が傷つけられた問題であると認識」し、アジア女性基金など「元従軍慰安婦の方々に国民的償いを表す事業」に真剣に取り組んでいる等々、外務省文書では見慣れた「逃げの反論」が続く。
確かにアジア女性基金については、「日本は謝罪していない」という事実を180度ねじ曲げた日本糾弾プロパガンダへの反論として有効だとみる論者もいて評価は分かれるところだが、次の箇所など、今では皮肉に響かざるを得ない。
「1993年8月の調査結果発表(河野談話を指す−筆者注)にあたっては、調査対象を国外にも広げるなど、政府として全力を挙げた誠実な調査を行っている。このように、日本政府は、本問題の事実関係について隠蔽する意図は毛頭ないばかりか、むしろ積極的に資料の調査、公開を行っており、特別報告者が十分な論拠もなくあたかも日本政府が資料の存在を隠蔽しているかのような前提で意見をされることは誠に遺憾である」−。
元慰安婦に日本政府が行ったソウル出張聞き取りが、いかに「全力を挙げた誠実な調査」からほど遠いずさんなものだったか、非公開としてきたのが河野談話を守るための「隠蔽」に他ならなかった事情も含め、産経新聞の昨秋からの一連の報道によって今や白日の下に晒されている。今後は、談話にとって「不都合な真実」であっても、誠実に公開していかねばならない。
「幻の反論書」全体を通じ、最も見るべき点が多いのは、事実認識にある程度踏み込んだ第3章(前号に掲載)である。
河野談話の実質的な修正と言ってよい箇所がいくつもある。例えば、「(1944年に米軍がビルマで朝鮮人慰安婦20名を尋問した記録には)また別の慰安婦像が示されていることも事実である。特別報告者たる者は、多様な事情を虚心に分析して、バランスの取れた判断を行わなければならない。本件付属文書(クマラスワミ報告のこと−筆者注)のごとき偏見に基づく一般化は歴史の歪曲に等しい」とした部分などきわめて重要だ。
本誌前号で阿比留瑠比氏が、「ただ、皮肉なことに河野談話も又、この米軍が記録した慰安婦たちの比較的に自由な生活については同じく無視し、『慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった』などと書いている」と指摘したとおり、河野談話における「歴史の歪曲」が自然に明らかになるポイントである。
「河野談話を継承するとしている現在の安倍政権も、この文書のレベルの反論はできるのだ」と同じく本誌前号で西岡力氏が強調している。実際、「事実面に対する反論」の章は、外務省の手になるものだけに、はっきり先例と位置づけていきたい。
同時に、河野談話の枠をはめた上で、「法律面での全面的な反論」を外務当局に指示すると、大いに逆効果となりかねない危険をも本反論書は示した。
慰安所は売春施設であって、奴隷制度でも戦争犯罪でもない、を常に基本線として維持せねばならない。「仮に奴隷制度だとしても」「仮に戦争犯罪だとしても」といったスコラ談義は一切無用だ。
なお、反論書の冒頭に次の一節が置かれている。「旧ユーゴ、ルワンダ等の武力紛争下における組織的強姦、家庭や社会における性的虐待や嫌がらせなど、現代社会において女性に対する暴力は重大な問題になっている。日本政府としても、旧日本軍の関与の下、多くの女性の名誉と尊厳が傷つけられたいわゆる従軍慰安婦問題を深く反省し、官民あげてこの問題に誠実に対応するとともに、この問題を一つの教訓として、『女性に対する暴力』の問題一般の解決のために国際社会に協力していくべきであると考えている」—。
これでは、慰安婦問題は旧ユーゴやルワンダの組織的強姦・虐殺と同種のものだったとの誤解を与えかねない。配られた資料の最初の1、2ページしか読まない関係者も多い。外務当局の重大ミスであろう。
2014年4月25日、ソウルで米韓合同記者会見に臨んだオバマ大統領は、慰安婦問題に触れ、「恐ろしい、実にひどい人権侵害であり、この女性たちは戦時中であることを考慮してもなおショッキングな形で人権を侵された」と述べている。この発言の背後に、「残虐性と巨大さにおいて前例を見ない、日本政府による強制的軍隊売春である『慰安婦』システムは、20世紀最大規模の人身売買として、輪姦や強制堕胎、辱め、性的暴行を含み、四肢の切断や死亡、自殺に至ったもの…」(2007年7月30日、米下院「慰安婦決議」)といった認識がおぼろげにでもあるとすれば由々しきことである。
もっともオバマ氏は続けて、「何が起こったのか、正確にはっきりと明らかにされねばならない」、「過去は正直かつ公正に認識されねばならない」とも述べている。「幻の反論書」はその方向に一歩を踏み出したものであった。不要な部分を削ぎ落とした上、今後熾烈さを増すであろう国際情報戦に活用していきたい。

