ケビン・ドークの靖国論―中韓の批判に応じることの危険性 |
週刊文春2013年6月20日号にケビン・ドーク米ジョージタウン大学教授のインタビューが載っている(聞き手・古森義久氏)。
同教授は、「国家のために命を落とした人々を弔う行為は、成熟した民主主義国家にとって非常に重要」とし、その中心の場が靖国神社であることに何の問題もないとする。
米国アーリントン国立墓地には、奴隷制度を守るため闘った南軍の将校も埋葬されているが、そこを米大統領が訪れることが奴隷制度肯定を意味しないのと同様、靖国神社参拝が、日本の関わった戦争の全的肯定を意味するものではない。同氏の、かねてよりの論点である。次の指摘も重要だろう。
逆に、中国や韓国の言うことを聞いて、追悼行為から宗教的要素を一切排除したらどうなるか? 具体的には、千鳥ヶ淵のような国立追悼施設で代替することは出来ないかという案です。
しかし、これは逆に独裁や個人崇拝をもたらす恐れがある。中国では毛沢東の個人崇拝につながっているように、より全体主義に陥りかねない危険性をはらんでいるのです。
追悼行為に宗教的な枠を設けることは、政治家の道義的責任を判断し、独裁や個人崇拝に一定の歯止めを掛ける役割を果たしているのです。
非人道的な独裁者毛沢東や金日成、金正日のミイラを収めた中国や北朝鮮の施設こそが、醜悪かつ危険な意図の凝縮であり、韓国の日本大使館前「慰安婦少女像」こそが歪んだ自己憐憫と羞恥心の欠如を凝縮させたものである。
選りに選って中共や北朝鮮、韓国政府ほど卑小な存在からの靖国批判におののくほど、小心かつ愚かであってはならない。下記エントリ参照。
■毛沢東の肖像画をいまだ掲げる中国共産党が靖国参拝非難という「茶番」―中国改革派学者の弾圧
http://island.iza.ne.jp/blog/entry/3082300/
■毛沢東の肖像・ミイラこそが公序良俗に反する陳列物
http://island.iza.ne.jp/blog/entry/2515448/
■「スターリンおじさん」「毛沢東おじさん」ならどうしたか
http://island.iza.ne.jp/blog/entry/828862/
■毛沢東に弾圧差別された「犬っころ」(狗崽子)の手記
http://island.iza.ne.jp/blog/entry/2232849/
■「寝返ったら井戸の中に放り込む」―親中派を籠絡してきた箴言の真意
http://island.iza.ne.jp/blog/entry/2931802/