北が拉致したわが父―「朝鮮戦争拉北者家族協議会」にて |
昨年末の韓国ソウル訪問の際、「朝鮮戦争拉北者家族協議会」の事務所も訪れた。
そこで、朝鮮戦争中の拉致の態様について、いくつか具体的な話を聞いた。同協議会の理事長、名誉理事長の父親の事例について、ここにメモしておく。
■李美一(イ・ミイル)理事長の父、イ・ソンファン氏の場合
父は1920年生まれ、早稲田大学で勉強した。什器工場経営者の時、拉致された。北の保衛部が工場にやってきて、「反共団体に寄付した件を調べる」と言われ、連れていかれた。以来、消息不明。
拉致現場はここ、すなわち、いま「協議会」事務所も入っているビルのある場所。李美一氏は、このビルの現在の所有者。
■金聖浩(キム・ソンホ)名誉理事長の父、金有淵(キム・ユヨン)氏の場合
父は、キリスト教団のリーダーの一人だった。最後までソウルを死守すべきとの決議を主導した。その翌日(6月27日)にソウル陥落。北の連中に捕らえられ、拉致された。当時50才。
1964年、韓国中央情報部(KCIA)が『死の歳月』と題した資料を発表。その中に、拉致被害者収容所から脱出したある人の、父に関する証言があった。父は、1952年7月、北で地下教会を指導しようとしたとして、保衛部に連行され、その後消息不明という。
なお、私は韓国軍の情報部に務めたことがある。
李美一氏は、次のように付け加えた。
北による韓国人拉致は戦争犯罪。本来、休戦協定の時に解決すべきだったが、棚上げされた。
その後、対北支援を開始する際、この問題解決を条件とすべきだったのに放置された。
北はいま、アメリカに「平和条約」締結を求めている。1953年(休戦協定締結時)にアメリカが妥協したのは、戦時だから仕方がないが、いまは平時、必ず持ち出すべき。
休戦協定では、「失郷難民」(Displaced Civilians)という言葉が使われているが、まず米議会に働きかけ、こうした言葉使いを改めたい。
李美一氏の父は、拉致された時30才。まだ若者だ。写真の同氏は笑顔である。この後、家族と引き離され、北でどれほどの絶望に苛まれねばならなかったかを想うと、改めて、金日成、金正日の犯罪に強い憤りを覚える。
櫻井よしこ氏の隣が李美一氏
左から二人目が金聖浩氏