村上春樹訳のフィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』 |
村上春樹訳・解説のスコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』を読んだ。
随分前に原書を読みかけて、何となく面白くなく、途中で放置したままになっていた。
村上・日本語版は達意の訳だと思う。今回も、どうでもよい連中のパーティやお茶の場面が続く最初3分の1ほどは退屈だったが、中盤からは争いや事件も起こり、それなりに面白く読み終えた。
いくつか中心場面のみ原書にも当たったが、確かに簡潔で流れるような文体は魅力的だと思う。
ただ、強烈な個性や信念あるいは妄執で否応なしに物語を引っ張っていくような人物が登場しない点が、例えばドストエフスキーなどと比べて、大いに物足りない。
ギャツビーは成金虚業家で後ろ暗い取引にも手を染めているらしい。その割りに「闇の世界」を渡り歩いたといった迫力を感じさせない。他の主要人物も、遺産で優雅に暮らしている遊び人が中心だ。
最後にギャツビーは不慮の死を遂げるが、ひき逃げ死亡事故を起こしながら(ギャツビーによれば、運転していたのは同乗の女性)、車を隠し、自宅のプールでくつろいでいたところを、追ってきた被害者の夫に射殺されるという、当然の報いというべき死に方だ。むしろ気の毒なのは、直後に自決したその夫の方である。
ギャツビー(および同乗女性)が警察に逮捕されると、あまりに小説として締まらないので、無理に射殺で幕を引かせ、悲劇性を演出しようとしたとも言える。
繰り返すが、とてもドストエフスキーの強烈な作品群と肩を並べるような「世界的名作」とは思えない。
雰囲気はあるが、中身はやや希薄な“淡い”作品ではないか。