田中均外交を激賞する五百旗頭真防大校長の書評 |
ある人から、五百旗頭真・防衛大学校長が、田中均氏(元外務審議官)を激賞する書評を昨日付で毎日新聞に寄せたと教えられた(下記に原文)。
なるほど、読んでみると、
「稀有の外交官」
「これほど能動的・創造的な外交を構想し行動する外政家が、われわれの同時代にいる」
「戦後日本外交の限界に挑んだ」
「感銘を覚えない人はいないであろう」
といった歯の浮くようなセリフが並んでいて、思わず背中が痒くなる。
五百旗頭氏は、当然、拉致問題にも触れている。
明言は避けているが、田中氏が描いた「大きな絵」を理解せず、すなわち金正日の「謝罪と五人の帰国」でひとまずよしとせず、「八人の拉致被害者の死亡という通告」に「憤激」した「日本世論」の幼さこそが問題と言いたいようだ。
田中氏が、5人の被害者を北朝鮮に送り返そうとしたこと、つまり本当の意味での帰国を妨げようとしたことなど、五百旗頭氏にとってはどうでもよい話なのだろう。
また、「八人の拉致被害者の死亡という通告」と北の言い分を無批判に受け容れるような表現も気になる。
「日本世論」が「憤激」の度を高めていったのは、北が出してきた文書や証拠物品の捏造が次から次と明らかになったためだ。同胞の命が掛かった問題で、あれほど、詐欺的、冷笑的な対応を繰り返されて、憤激しない方がどうかしている。
何も感じないでいられるのは、五百旗頭朝鮮大学校長、失礼、防衛大学校長流に言えば、「いまなお精神の変調を引きずる人」だけだろう。
■五百旗頭氏 「拉致なんて、あんな小さな問題を……」
http://island3.exblog.jp/22015554/
■「テロ指定」解除 座談会―田中均、小此木政夫、島田洋一(毎日)
http://island3.exblog.jp/22017560/
■元外務官僚・岡本行夫氏の甘い情勢認識と責任転嫁
http://island3.exblog.jp/22013620
毎日新聞 2009年2月22日
今週の本棚:『外交の力』田中均・著(日本経済新聞出版社・1890円)
五百旗頭(いおきべ)真・評
◇限界に挑んだ能動的外交の記録
外務省に入ると著者はオックスフォード大学に留学し、英国に日本外交のモデルを求めた。あり余る力で押すことのできる米国流ではなく、限られた力を知恵で活(い)かす英国流外交を著者は若き日に見つめた。大洋で米国と隔てられ、別の大陸近くにある島国として、日英には地政的・国際政治的共通性がある。
著者が外交官の原体験と記憶するのは、一九七四年、ジャカルタで田中角栄首相が反日暴動に閉じ込められた事件である。日頃からの能動的な外交により、かかる「けしからん」事態を招かぬようにするのが責務であると心に誓ったという。
若き日の著者は、ODA(政府開発援助)が戦後日本の主要な外交ツールとなる七〇年代に東南アジア外交に従事し、八〇年代に向かう時期には対米経済摩擦に直面することになる。
一口に対米関係といっても、安全保障を扱う者は米国への依存を不可避と認め、日米専門家間の了解に傾きがちである。他方、経済担当者は国内の元気な利益団体を意識しつつ、対等の対米関係を迫る傾向があるという。著者の場合、後者から入り、鍛えられた。
脂の乗った時期に著者がやろうとした外交が三つあった。第一が日米安全保障関係である。冷戦後の湾岸危機に能動的たり得なかった日本は、一三〇億ドルも寄与しながら評価されない苦い体験を繰り返した。九四年の北朝鮮核危機は、日本が米朝合意に参与できず、そのツケのみを負わされた点で、著者にとり一層悲痛な体験であった。対処準備なく受け身でいる外交はかくも高くつく。
北米審議官として、著者は橋本龍太郎首相の傍で勝負に出る。沖縄問題に目処(めど)をつけ、日米防衛協力ガイドラインを改訂し、同盟を拡充再定義する「大きな絵」を構想した。普天間基地の返還が合意される内部プロセスは興味深い。
第二が朝鮮半島問題である。残された戦後処理問題に、著者は飛び込む。北朝鮮に拉致(らち)を認めさせ、謝罪させ、被害者を日本に帰国させることは難しい。しかし小泉内閣期のアジア大洋州局長となった著者は「大きな絵」の中に収めることにより、それを可能にせんとする。一つには、拉致問題をまっとうに処理すれば北朝鮮は日本から国交正常化と経済協力を得ることができる。いま一つは、米国ブッシュ政権の「悪の枢軸」と呼ばわる猛々(たけだけ)しさをしのぐため、小泉の日本との関係は北朝鮮にとり有用であるという構図である。
著者の一年に及ぶ秘密交渉は小泉訪朝をもたらし、拉致への謝罪と五人の帰国を生んだが、八人の拉致被害者の死亡という通告が、日本世論の憤激を招いた。著者は国賊のように報ぜられ、自宅に爆発物が仕かけられる事態となった。日本社会は戦前から何ほども成熟していないのかもしれない。
第三は東アジアに日本がその一部として住まえる地域共同体を築く夢である。これは未完であるが、本書は終りの二章に、二一世紀の外交戦略とそのための国内態勢を熱く語る。それに感銘を覚えない人はいないであろう。著者は外務省を退官したとはいえ、まだまだ若い。今日の政治的混迷の先で、誰が政権に就こうと、長期的な国家戦略を踏まえた外交・安全保障政策の展開が望まれる。著者にも民間人として一肌脱いでいただきたいものである。


