意味があったとは思えない数学の受験勉強 |
今日(日曜日)は朝8時半に勤務校の「大学入試センター試験実施本部」に集合、計五科目(数学・理科関係)の試験監督を務め、終わったのは午後6時だった。
社会や英語なら、監督をしながら少し問題でも覗いてみようかという気になるが、数学、理科となるとまったく食指が動かない(もっとも「生物」あたりは関心がある)。
数学は、かつての受験勉強以来、30年以上まったく触れもしていないので、今、センター試験を受ければ、多分0点だろう。もっとも、マークシート方式だから、適当に印を付けて何点かは取れるだろうが。
数学の受験勉強に費やしたあの時間は一体何だったのかと思う。
頭が鍛えられ、目に見えない形で生きていると言う人もいるが、強弁だろう。しっかりした小説や思想家の文章を読んでも、やはり頭は鍛えられ、併せて文章力なども鍛えられたはずだからだ。文化系の人間は算数さえできれば十分だ。「機会費用」に鑑みてそう思う。
私は法学部出身だが、入試に数学があった意味がいまだに分からない。当時教えを受けた教授陣にも、数学ができそうな人は一人もいなかった(失礼)。
政治学の論文で数式を使いたがる人もいるが、多くの場合、自然言語でよりよく表現できる事柄を、わざわざ単純な数式レベルまで落として表しているに過ぎない。
というようなことを徒然なるままに想いつつ過ごした試験監督の一日だった。
【追記】ちなみに私の大学受験の時は、まだ全国統一試験のようなものはなく(2,3年後に「共通一次試験」が始まった)、各大学の個別試験だけだった。
私が受けた京大の入試科目(配点)は、国語(200点)、数学(200点)、英語(200点)、社会2科目(各100点)、理科2科目(各100点)だったと記憶する。
数学は確か87点(高校の担任教師から聞いた。今はどうか知らないが、当時は大学から出身高校に通知があったようだ)で、5割に満たないが、この年はかなり難しかったらしく、周りに聞くと比較的ましな方だった。
社会は日本史と世界史、理科は生物と地学を選択した。
総合点で、合格最低点をちょうど10点上まわり、何とか滑り込んだようだ。