「対華21カ条要求――加藤高明の外交指導」(3) |
以下は、1987年に発表した拙稿「対華21カ条要求――加藤高明の外交指導」第1章の続きである。
第3節
「二十一カ条」の日本側原案は、五つの「号」に分けられている。すなわち、
・第一号(山東問題の処分に関する条約案)―四項目
・第二号(南満州・東部内蒙古〈南満・東蒙〉に於ける日本の地位を明確ならしむる為の条約案)―七項目
・第三号(漢冶萍〈かんやひょう〉公司に関する取極案)―二項目
・第四号(中国の領土保全の為の約定案)―一項目
・第五号(希望条項)―七項目
という形になっており、「号」の枠をはずして数えると二十一カ条になるわけである。
各項目の内容は、おおむね以下の通りである。
まず、第一号(山東関係)は、山東のドイツ租借地が日本の管理下に置かれるという新事態を受けての要求で、全部で四項目ある。
いずれも最終的には、日中が歩み寄って一応の決着を見ており、その限りで、大きな問題は生じなかったと言える。しかし、交渉の過程で、日本側原案にはなかった事柄が問題化している。詳しくは次章以下で論じる。
なお、先に述べた通り、日本は対独参戦に際して、山東のドイツ租借地を一旦占領した後、中国に還付する旨を声明した。しかし、「二十一カ条」原案には、還付に関する記述が見られない。
そのため中国側は、「第一回対案」提出の際(大正四年二月十二日)、山東「還付」を条約中に明記するよう日本側に申し入れた。これに対し加藤は、次のように応じている。
――還付声明は、あくまでドイツが無抵抗で明け渡した場合を想定したもので、現に軍事的衝突を見、日本側に犠牲が生じた以上、事情は変わり、声明は無効になったと言わねばならない――。
もっとも加藤は、山東還付を単に反古にするつもりだったわけではなく、交渉の切札に使おうとの意図であった。切り札の効果を増すため、還付は何ら既成事実ではないとの姿勢を見せたわけである。
結局、加藤は、交渉の末期、「最後譲歩案」の提出(四月二十二日)に当たって、山東還付の意思を明らかにする。従って、最終的には、参戦の際の公約は守られた。
しかし、その時点では、すでに日本に対する批判的空気が国際的に固まっていたため、イメージ上のプラス効果は全くなかった。
第一号の関連でもう一点付け加えておきたい。これも日本側原案にはなく、中国側から持ち出されたものである。
山東還付の意思を明示しない日本側を揺さぶる意味もあり、中国側は、日独戦の過程で生じた中国資産への損害を日本が補償すべきとの要求を、第一回対案の中に入れてきた。
中国側の言い分は以下の通りであった。
――中国とドイツの間で、租借地返還に関する合意が出来かけていた時に、突然日本が踏み込んできてドイツと戦争を始めた。その間の被害を日本が補償するのは当然である――。
一方、日本側の言い分はこうであった。
――中独間の交渉は、日本の参戦を目前にして、一旦、中立国中国に資産を移して日本による接収を免れ、戦後原状に戻すという裏取引に過ぎない。ドイツの存在は東洋の平和にとって明白な脅威であり、その危険を除去するため立ち上がった日本に対して感謝どころか、補償を要求するとは論外である――。
ともあれ、日本側は中国側の要求を一貫して撥ね付け、条約にこの補償問題が盛られることはなかった。
しかしこの問題は、日本が最後通牒を発する際に重要要素と位置づけられた。加藤は、もはや交渉を打ち切る他なく事態は外務省の手を離れるに至ったとの声明の中で、「中国側には全く誠意がない事が明らかになった」とし、その最大の根拠としてこの補償要求を挙げている。
第二号は、南満州および東部内蒙古地域を対象にした諸要求を集めたもので、合わせて七項目ある。
すなわち、二十一カ条全体の三分の一、「希望」を除き「要求」に限れば、半数を占める計算になる。
数字が示す通り、日本側要求の核心はこの第二号にあった。日清、日露戦争を経て、日本が満州に勢力を伸張する過程で、複雑にもつれた諸問題がここに包含されている。言うまでもなく、満州における日本の「特殊地位」に国際的承認を得ることが、当時の日本外交における中心命題であった。
この第二号において、日中が最後まで鋭く対立したのが、東部内蒙古を満州と同等に扱うか否かの問題である。
日本側は、ロシアが外蒙古における「特殊地位」を認められた事実を挙げ、ロシアとの対抗上、日本の東蒙進出は当然の要求である、と主張した。
一方、中国側は、外蒙と違い東蒙は、首都北京の外堀というべき国防上枢要の位置を占め、また満州とは異なり、日本が「特殊地位」を主張すべき何らの歴史的根拠もないと、あくまで拒否する姿勢を取った。
結局最後通牒に訴えることで、日本側が主張を押し通したが、内容的には、この東蒙問題が、交渉全体を通じて攻防の焦点だったといえる。
第二号をめぐるその他の問題に触れておく。
二十一カ条中、日本側が最重視していた第二号第一条(旅順・大連の租借期限延長、満鉄の期限延長)は、中国側も当初から受け入れの意向を示し、すんなり妥結に至っている。
第七条(吉長鉄道の管理経営権)など、日本側がややふっかけた感のある項目については、早々に日本が譲歩して妥協が成立し、これも特に問題は生じていない。
第二条以下第五条までは、南満および東蒙における土地賃借・所有権、居住往来・営業権、鉱山採掘権、借款優先権等々比較的細かい案件であるため、東蒙にもこれを及ぼすかどうかという点で基本的対立があったことを除けば、いずれも実務的性格の強い折衝となっている。
しかし、あるいはそれゆえに、細部の詰めにかなり手間取り、特に裁判手続きの問題をめぐってはなかなか妥協点を見いだせず、交渉全体を長引かせる大きな要因となった。
最後に、第二号に対する列国の対応に触れておく。
各国とも、満蒙について日本がこの程度の要求を出すのは想定内との反応を見せており、特に日中のいずれをも支持せず、静観する姿勢に終始したと言える。
(つづく)

