『指示評決』―サウジ宗教警察との闘いを描く法廷サスペンス |
アメリカ保守派の間で人気が高いランディ・シンガー(Randy Singer)の法廷サスペンス『指示評決』(Directed Verdict)を読み始めたところ、やめられなくなり、昨日はほとんど徹夜で、さきほど読み終えた(邦訳はまだないようだ)。
暴力的な乱入捜査や拷問で悪名高いサウジアラビアの宗教警察ムタワ(Muttawa)に虐殺されたアメリカ人宣教師(普段、教師をしつつ、リヤドの自宅で地下教会を主催していた)の妻が、冷酷非道なムタワの長官(殺害の実行犯でもある)およびサウジアラビア政府を相手に、アメリカの法廷で損害賠償訴訟を起こし、全米が注目する中、裁判が進むというのがメインの筋書きである。
宣教師は、自宅に乱入してきたムタワの要員から地下教会の全貌を明かすよう拷問を受けるが、口を割らず死に至った。
サウジ側は、宣教師にコカインを注射し、麻薬の袋をクッションに仕込むなど工作を行い、麻薬グループを摘発する過程で不幸にも死亡事故が発生したという体裁を取る。
もっとも、証人尋問の中で、サウジアラビアが、「自ら選択する宗教または信念を受け入れ、または有する自由ならびに、単独でまたは他の者と共同して、および公にまたは私的に、礼拝、儀式、行事および教導によってその宗教または信念を表明する自由」と規定(第18条)する国連人権規約に署名していながら、実際は、改宗を勧める者には死刑をも適用している実態が明らかにされる。
原告側弁護士(男性)と三人の助手および宣教師の未亡人(いずれも女性)が、サウジまで飛んでの決死の活動や、裏切りを思わせる不可解な行動などを次々展開し、終始飽きさせない。
法廷でのやりとりも、かなり複雑な成り行きを見せるが、よく練られていて分かりやすい。
なお、大がかりな裁判を起こすと、二度とサウジに入国できず、自分が改宗に手を貸した人々と会えなくなるのではと逡巡する未亡人を、弁護士(実は特に宗教心が厚いわけではないという設定)が次のように説得するシーンがある。
結局は、よりよい善は何かという問題に帰着すると思う。サウジに帰って、宣教師として、数十人あるいは数百人の人々に手を差し延べるという道もあるだろう。だが、この訴訟が、サウジにおける宗教の自由につながるとしたらどうだろう。……そして、この裁判が、中国その他の抑圧的国家に対する似たような裁判につながるとしたらどうだろう……。
(原文)pp.89-90
I think it all comes down to the greater good. You could go back into
「郷に入りては郷に従え」で、イスラム教国に行ってキリスト教を説く方が悪いといった“現実主義的”議論は、当然、被告側弁護士が、陰に陽に持ち出している。
が、自国民へのテロを旨とする組織は、他国民の権利も平気で蹂躙し、海外のテロ組織とも容易に結びつく。
内政不干渉を掲げて黙認するのが大人の態度とは言えないだろう。この小説にも、そうしたモチーフが感じられる。
なお表題の「指示評決」を、手元の英米法辞典(東京大学出版会)は次のように解説している。
directed verdict 指示評決; 指図評決
Trial (正式事実審理)で提出された証拠から勝敗(刑事では無罪)が明らかで陪審に付すべき真の争点がないと判断されるとき, 裁判官の指示どおりになされる verdict (評決).(以下略)
この小説では、最後に、一部陪審員に「汚染」の疑惑が生じ、そのまま陪審員による評決手続きに入ると、上級審が審理やり直しを命じる可能性が高いため、裁判官が「指示評決」を選択するという展開になる。まあ、これ以上は書かないことにしよう。