「裏切り」という言葉について |
米国務長官コンドリーサ・ライス氏が、北朝鮮が「核申告」を提出すれば、直ちに米政府は、北のテロ国家指定解除方針を米議会に通告する、と数日前に述べたのは、「申告内容を精査した上で大統領が指定解除の是非を判断する」としていた米政府従来の立場を、さらに無原則に後退させたものだ。
単に優秀なキャリア・ウーマンに過ぎないライスあたりを取り込むのは、国務省組織にとって易々たるものだろう。
昨年初め、ブッシュがイラクへの米地上軍増派を考慮していた際、ライスは、もし失敗すると大変な非難を浴びると反対したという。この時、ブッシュはライスの進言を斥け、増派を決断した。
結果的に、増派はイラクの治安改善に大きな効果を上げ、その早くからの主唱者ジョン・マケイン(共和党)が、大統領予備選からすでに脱落といわれた状態から一気に盛り返し、指名獲得を確実にする最大要因となった。
当面、ブッシュが再びリーダーシップを発揮して、北のテロ指定解除に関するライスの浅はかな進言を斥けるかどうかが注目される。
なお、ライスの発言を捉え、「アメリカの裏切り」と表現する向きがあるが、それは、福田一派が万景峰号の入港容認を表明したことを受けて、アメリカ人が「日本の裏切り」と批判するのと同じくらい単純な決めつけだ。
「日本」といっても残念ながら玉石混淆、上は平沼赳夫、安倍晋三から、下は山拓、加藤紘一、岩國小商人(こあきんど)、福島“現実を”みずほまで大変な幅がある。
アメリカも事情は同じだ。ジョン・ボルトンとクリス・ヒルを同じ範疇でくくれるはずがない。
日米ともに、しっかりした保守派は、「それでは日本に対する裏切りになる」「アメリカに対する裏切りになる」といった表現を、自国政府に対しては警告の意味で使うが、相手の「国」や国民全般に対して“裏切り”と非難したりはしない。相手も一枚岩ではなく、少なからず「同志」がいることを知悉しているからだ。
日本の健全な保守を代表する西村眞悟代議士は、先の日朝協議に触れ、自身のブログにこう書いている。
http://www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi?page=350
平沼議連会長と議連メンバーは、昨年11月にはワシントンDCでアメリカ政府要人や上下両院の有志議員に会い、また6月3日には、大統領に近いアメリカのシーファー大使に対して、アメリカが北朝鮮のテロ支援国家指定解除をしないように要請している。我が国政府も、このことに異議はない。
従って、アメリカに制裁解除を為さないように要請しながら、日本自身が具体的な目に見えない進展がないのに制裁を緩和するなどの措置を執るのは裏切りであり、我が国の国際的信用を著しく損なう。
その通りである。
福田安売り氏、いや、康夫氏や外務省幹部の浅はかな背信行為を、「日本の裏切り」としないため、日本の保守派は、斎木氏が決めてきた野合「パッケージ」および今後福田一派が世間の目を誤魔化すため打ち出すであろう包装紙だけ変えた「パッケージ」の変種を絶対に認めてはならない。