ソ連のスパイ活動を逆手に取ったレーガンの秘密作戦 |
下記ニュースについて
イザ!ニュースより
「中国のスパイ活動、最も攻撃的」米下院司法委公聴会
08/2/3 16:57更新
【ワシントン=古森義久】米国下院司法委員会の小委員会が開いた米国に対するスパイ活動に関する公聴会で、米中関係研究の議会諮問委員会代表が、中国による米国軍事関連技術を盗むスパイ活動が米国の安全保障技術への主要な脅威であり、その活動は各国中でも最も攻勢的だと証言した。
同司法委員会の「犯罪・テロ・国土安全保障に関する小委員会」は1月29日、「連邦スパイ法の施行」という題の公聴会を開き、ブッシュ政権の高官や民間専門家の証言を聞いた。
米国に対するスパイ活動一般とそれに対する防止策についての各証言の中で議会政策諮問機関の「米中経済安保調査委員会」のラリー・ウォーツェル委員長は、中国の対米スパイ活動を米国に対する各国の同活動でも「最も攻勢的で米国軍事関連技術への主要な脅威」として位置づけ、その実態に関して証言した。
同委員長は自らが米陸軍の中国専門家として長年、中国の諜報・スパイ活動を専門に研究してきた経歴を基に、(1)中国は1986年3月に「863計画」と呼ぶ高度技術の総合的開発計画を決め、バイオ、宇宙、レーザー、情報、オートメーションなどの技術の外部からの取得を国家政策として決めた(2)その一環として制限された外国の技術は産業スパイなど秘密や違法の手段でも取得する方針が決められ、実行されている(3)米側は中国のその種のスパイ活動にかかわる国家機関として国家安全部、人民解放軍諜報部など少なくとも7組織を認定している-などと証言した。
ウォーツェル委員長は中国がこうして取得した高度技術が中国軍の「近代化」を推進していると強調し、最近の具体例として2006年にカリフォルニア州で有罪判決を受けた中国系一家5人のケースをあげ、高度技術の訓練を受けた同5人が米側の官民の軍事関連技術を違法に取得して中国の広州の中山大学研究所を経由して中国当局に送っていた実態を明らかにした。
同委員長はこの一家が中国当局からとくに優先して取得することを指令されていた項目として(1)海上電磁傍受システム(2)宇宙発射磁気浮揚台(3)電磁砲システム(4)潜水艦魚雷(5)空母電子システム(6)水上ジェット推進(7)潜水艦推進(8)核攻撃防衛技術(9)米海軍次世代駆逐艦-などを指摘した。
■ 1980年代、アメリカのレーガン政権が、ソ連の組織的な産業スパイ活動に対し、密かにあるカウンター・アタックを仕掛け、一定の成果を上げたとされる。 その点に触れた旧稿を転載しておく。 『現代コリア』2007年1、2月合併号 アメリカはどう動くか(21) 島田洋一(福井県立大学教授) 長年、北朝鮮の核、ミサイル問題を追ってきたジャーナリストの惠谷治氏は、北朝鮮の2006年7月テポドン2号打ち上げ、10月の核実験をいずれも不成功(核は未熟爆発)と結論づけた上、この連続失敗の背後に、おそらく日米を中心とする経済的締め付けの効果があると分析している。 すなわち、極度の精密さが要求される箇所に、戦略物資調達の不十分から、微妙な不具合が生じた可能性が高いという見方である。 もちろん、最終的な検証は北の崩壊後まで待たねばならないだろう。が、この惠谷説は、中国や韓国が北との貿易量においていまや日本を凌駕している以上、日本の制裁には効果がないといった量に囚われた議論の単純さを鋭く突くものである。 現在進行中の、公安当局による「科協」(在日本朝鮮人科学技術協会)関係者摘発など、まだまだ、そこまでやるのかと言われるぐらい徹底的にやるべきだろう。 冷戦後期のアメリカの事例で見ると、テクノロジー、戦略物資の対ソ違法持ち出し事件の起訴件数が、デタントがはやり言葉だった1970年代には、年間二、三件に過ぎなかったのが、ソ連崩壊を目指すレーガン政権の発足(1981年1月)後、着実に増え、1986年1月には、月間(年間ではない)起訴件数が100を超えるに至っている。日本の対応はまだまだ甘いと言っても過言ではないだろう。(Paul Kengor, The Crusader: Ronald Reagan and the Fall of Communism, 2006, p.162) 惠谷氏の話を聞いて、もう一つ、かつて80年代前半、レーガン政権がソ連打倒戦略の一環として実施した攻撃的な秘密工作「フェアウェル・ファイル」を思い出した。同種の作戦は北朝鮮に対しても有効なはずだし、あるいはすでに、米側において実施されているかも知れない。 以下、参考のため、この情報工作がいかなるものであったか、紹介しておこう。 フェアウェル・ファイル 「フェアウェル・ファイル」の経緯を最初に明らかにしたのは、レーガン政権時代、NSC(国家安全保障会議)でテクノロジー移転問題を担当したガス・ワイス(写真)である。
(Studies in Intelligence)』第五号にワイス執筆の「フェアウェル・ファイル」という論文が載った(原題名はThe Farewell Dossier。ドシエは「一件書類」を意味するフランス語。英文でも使われるが、ここではより分かりやすくファイルとしておいた)。
http://www.loyola.edu/dept/politics/intel/farewell_dossier.pdf
論文の要点を示せば、以下の通りである。
冷戦期、ソ連は西側から科学技術情報を盗み出すべく大がかりな工作活動を展開した。担当部署は、KGB第一総局(対外諜報)に属するT部局(Directorate T)、工作の実働部隊は、特にX部隊(Line X)と呼ばれた。
一九八一年、フランス情報部が決定的情報源の獲得に成功する。ウラジミール・ヴェトロフ大佐。コード・ネームは、「別れ」あるいは「別れの言葉」を意味する「フェアウェル(Farewell)」。T部門が集めた情報の評価を担当する当時五三才のエンジニアであった。ヴェトロフは、約四〇〇〇枚の関係資料を密かに写真撮影し、フランス側に届けた。フランス情報部はこれらヴェトロフ情報を一括し「フェアウェル・ドシエ」と名付けた。
一九八一年七月、オタワの先進国サミットの際行われた米仏首脳会談において、ミッテラン仏大統領がレーガン米大統領に対して、「フェアウェル」の存在を伝えると共に、情報共有化を申し出た。
翌月CIAに引き渡された極秘ファイルの分析に当たった一人がガス・ワイスであった。ワイスの精査によれば、ソ連の産業スパイ・X部隊の手は、レーダー、コンピュータ、工作機械、半導体など、きわめて広範囲に伸びており、しかもすでに、収集予定リストの三分の二から四分の三分が、確保済みとなっていた。
しかし、さらにこの先、T部局が獲得しようとしているテクノロジーのリストは今や米側の手にあった。ワイスはそこに、カウンター攻撃の機会を見た。
対ソ・カウンター攻撃実施
一九八二年一月、ウィリアム・ケイシーCIA長官を訪ねたワイスは、以下のような提案を行った。米側が「改善を施した」バージョンを、X部隊につかませる。純正品と区別が付かず、初期の検査も通るが、一定の時間を経ると異常な動きをする仕組まれたバージョンを……。
仮に二重スパイがいて、モスクワにこちらの作戦が知られたとしても、ソ連側は、それまでにX部隊が獲得したものすべてに疑いの目を向けざるを得なくなろう。つまり、バレたとしても、それはそれで別の攪乱効果を上げるという、諜報の世界では滅多にない好機であり、これを逃す手はない。ワイスの話を聞いたケイシー(写真)は、この案が気に入った。
ケイシーが作戦内容を大統領に告げたところ、レーガンは大喜びでゴー・サインを出したという。
早速、CIA、国防総省、FBIの専門家からなる合同プロジェクト・チームが結成され、次々と秘密のカウンター攻撃が実施されていった。
ワイスはごく簡単にしか記していないが、米側からX部隊を通過し、ソ連軍事施設に誤動作を起こすコンピュータ・チップが入っていき、欠陥タービンが天然ガス・パイプラインに取り付けられ、不良設計図に基づく化学プラントとトラクター工場が不良製品を生み出すなどの成果が上がっていった。
CIAは、NATO各国の情報部にもX部隊の動きを伝え、対抗措置を講じるよう促した。その結果、約二〇〇名に及ぶソ連情報部員や協力者の追放、無力化など、ヨーロッパで活動していたX部隊は壊滅的打撃を被るに至った。
ソ連によるテクノロジー獲得工作がマヒ状態に陥ったちょうどその時、レーガンがSDI(戦略防衛構想。反対派の用語では、スターウォーズ計画)を打ち上げるなど、テクノロジー競争を仕掛け、ソ連側の動揺は一層大きなものとなる。
レーガンが展開したソ連崩壊戦略については、今後、さまざまに再整理したいと思っているが、テクノロジーをめぐるこうした攻防は、重要な一局面をなすであろう。デタント信仰の根強い国務省などは、「攻撃的」戦略にはとにかく反対で、水面下でのオペレーションは、したがって、レーガン、ケイシーを中心とする少数のメンバーが極秘に進めたという。
なお、「フェアウェル」ことヴェトロフ大佐は、結局KGBに動きを察知され、一九八三年、処刑された。
カウンター作戦を発案したガス・ワイスは、二〇〇三年十一月二五日、ワシントン市内、ウォーターゲート複合ビルの敷地内で遺体で発見された。検死の結果、飛び降り自殺と発表された。
シベリア・パイプラインの爆発「事故」
レーガン時代、NSCでワイスと同僚だったトム・リードは、二〇〇四年出版の回想録の中で、欠陥タービンをソ連の天然ガス・パイプラインに取り付けさせたというワイス証言を次のように敷衍している。
パイプラインのポンプ、タービン、バルブを司るソフトウェアは、しばらく普通に動いたあと、異常を発生させるようプログラムされていた。ポンプのスピードとバルブのセッティングがリセットされ、パイプラインの結節部と溶接部の許容範囲をはるかに超える圧力を生み出す仕掛けになっていた。
一九八二年夏にシベリアのパイプラインで起こった大爆発は、その成果だったろうというのが、二〇年後にワイスから作戦の仔細を聞かされたというリードが下した結論である。
シベリアと西ヨーロッパを結ぶ長大な天然ガス・パイプライン建設構想は、ソ連に資金とテクノロジーを流入させ、あわせて西欧諸国がエネルギー供給のバルブをモスクワに握られてしまうというレーガンの強い異論にもかかわらず、デタント・ムードの中、着々と進んでいた。
米国内でも、国務省や関連業界などは、欧州同盟諸国に圧力を掛けて事業を中止、縮小させようというレーガンの方針に反対だった。
紙数が尽きたため、この問題についてのさらなる議論は、別稿に譲りたい。
最後に一言付け加えれば、かつてのソ連、今の北朝鮮を問わず、その大量破壊兵器開発、蓄積を阻止、妨害し、また内部矛盾を高めレジーム・チェンジを実現していくためには、テクノロジーの流れを止めることが有効で、それが本筋の対応といえよう。しかし同時に、機会があるなら、「フェアウェル・ファイル」のような攻撃的作戦の実施をためらうべきではない。
かつて、ソ連崩壊を目指したレーガン政権は、好機を逸せず攻勢に出た。ブッシュ・安倍体制にも、是非、同様の攻撃的姿勢を望みたい。