北朝鮮が査察拒否に用いる論法 |
7月14日から北朝鮮入りしたIAEA係官の活動に関して、北朝鮮側は、「査察」ではなく、あくまで「検証・監視」に限られるという点を強調している。
今後とも北は、自らが選別し自己申告した施設のみに「監視」を受け入れ(もちろん援助と引き換えに)、外部が、それ以外の疑惑施設の存在を指摘し、査察を要求しても、決して受け入れないだろう。
そのことは、歴史がいやというほど証明している。
「当該建物は、軍事施設のため内部は見せられない、軍事施設を公開する国がどこにあるのか」といった論法で拒んでくるはずだ。
1992年から94年にかけての核危機の際に、北が用いた論法がそれだった。
もっとも、国際世論対策上、ごく一部の疑惑施設について、事前に十分時間をかけて「きれいに」したのち、食糧・エネルギー支援と引き換えに、米国務省関係者の「見学」を許すといった、国務省とつるんでのサル芝居に出てくるかも知れない。
その種の実例については、拙著『アメリカ・北朝鮮抗争史』(文春新書)に詳述してあるので、関心ある方は参照頂きたい。
以下、同書の「あとがき」の抜粋のみ掲げておく。
文春新書 あとがき
「統一コスト」と「金正日コスト」
……
北朝鮮崩壊、南による吸収統一を、「統一コスト」の観点から、日本にとっても望ましくないと懸念を示す向きがある。
が、この議論には、まず論理的に大きな問題がある。
「統一コスト」の大きさをいくら強調しても、それだけでは、統一を先送りした方がよいという理由にはならない。
現状が継続する場合のコスト、すなわち金正日政権存続に伴うコスト(以下、「金正日コスト」)との比較考量が必要だからだ。
「金正日コスト」のうち、最も分かりやすいのは、周辺諸国が北の軍事的脅威や破壊活動に対抗するため、支出を余儀なくされる軍・警察・情報部関係の費用であろう。
いうまでもなく、北朝鮮当局が組織的に推進している覚醒剤の密輸なども、とりわけ日本の青少年の肉体・精神を蝕み続ける大きなコストである。
現体制下で、北朝鮮民衆が払い続けねばならない負担も考慮する必要がある。
北においては、さまざまな資金・資材・労働力が、大量破壊兵器開発・謀略破壊活動・強制収容所整備・個人崇拝事業・独裁者専用別荘など非生産的・反生産的方面に、巨大な規模で濫費され続けてきた。
現体制が続く限り、こうしたコストは年々積み上がっていく。逆に現体制がつぶれれば、その瞬間から、これらの資本は朝鮮半島北部のインフラ再生事業に振り向けられる。いうまでもなく、浪費・悪用されてきた資金のかなりの部分は、日本から流れたものである。
将来、有効利用不可能な大量の地下軍事施設、途中で建設放棄され平壌中心部に異様な姿をさらす超高層「柳京ホテル」、特大の金日成像、非芸術的なモニュメントの数々などは、建設時点における資金・資材・労力の浪費であるにとどまらず、解体撤去費の形で「統一コスト」を膨らます要因ともなる。そうした無用の施設は、いまも各地で建設が進められている。
道路・鉄道・水道・電気など市民生活に不可欠な基礎的インフラにすら資金は回されず、経年劣化や維持管理の不備から事故や疫病が頻発している。そのために発生するコストも、毎年膨大な額に上っていよう。極端な栄養不良により、発育に回復しがたい打撃を受けた世代も増え続けている。
無秩序な森林伐採、有害物質の垂れ流しなどによる環境破壊も進行している。景勝地の岩壁に真っ赤な特殊塗料を用いて彫り刻まれた個人崇拝スローガンなど、史跡や観光資源の損壊も続いている。
毎年累積していくこうしたコストを積算すれば、天文学的な数字に上るだろう。
「統一コスト」を危惧して事を先延ばしするというのは、他ならぬ当の経済的コストの次元に限っても、不合理な話といわざるをえないのである。
意味のない「試算」
そして、これら経済的なコスト以上に、全面的抑圧のもと、開花の機会を得られず消え去っていく北朝鮮住民たちの無数の潜在的才能、家族が餓死するさまを目の当たりにした子供たちが一生悩まされ続けるであろうトラウマ、1000万人以上といわれる離散家族、拉致被害者とその家族等の計り知れぬ精神的苦痛などは、まさに計り知れぬ大きさをもった「金正日コスト」である。
北の政権が続く限り、「金正日コスト」が累積し、「統一コスト」もまた増大していく、そうした構造が厳存するのである。
なお、将来、北を南の水準まで引き上げるのに要するコストを試算し、そこから日本に拠出を求められるであろう金額を割り出し、大変な負担になる、北の崩壊は望ましくない、といった議論の進め方は、現実の政治過程を考慮に入れていない点でも適切を欠く。
どんな「試算」がなされ、韓国政府からいかなる要請がこようと、日本から出ていく資金は、現実の予算決定プロセスにおいて可能なレベルを越えることはありえない。
したがって、その額は、韓国側が満足する水準には達しえないだろう。当然、日韓の間で摩擦も生じよう。
韓国側が不満の意思表示として、日本製品や日系企業に不利益な措置を取ったり、あるいは利益となる措置の実施を遅らせるといった事態もありうる。
南北統一に際し、日本が臨時に支出することになるであろう「経済協力金」の額に、こうした日韓摩擦によるマイナス分を加え、そこから以後不要となる「金正日コスト」を差し引いた分が、日本にとって新たに発生する経済的コストということになる。
もっとも、北朝鮮でのインフラ整備事業や福祉事業に投入される資金は、ある程度日本の業者にも環流するだろう。そこまでいけば、もはや「試算」など不可能な世界に入っていく。
なお、いわゆる「統一コスト」の相当部分は、戦争とテロの恐怖から解放された後の建設的事業に関わるものであり、負担の際、われわれの精神に及ぼす意味合いが、「金正日コスト」の場合とは、質的に異なる点にも注意が必要である。
要するに、「統一コスト」を「試算」するという作業自体、そもそもほとんど積極的な意味を認めがたいものである。さらにその「試算」から、「金正日コスト」を考慮に入れることなく、北朝鮮体制の崩壊は望ましくないという結論に至るとなると、それこそ論理的思考の崩壊と言わざるをえないだろう。
……