アメリカはどう動くか(24) |
『現代コリア』2007年5月号
アメリカはどう動くか(24)
島田洋一(福井県立大学教授)
北朝鮮との関係正常化シナリオ
まず、コンドリーサ・ライス米国務長官の声明文から一節を引いておこう。
米国は、北朝鮮と完全に外交関係を正常化すると発表できることをうれしく思っています。われわれは間もなく、平壌に大使館を開設します。さらに、アメリカは、北朝鮮をテロ支援国リストからはずします。……
本日の発表は、テロを否定し、大量破壊兵器計画を放棄するという北朝鮮指導部の歴史的な決定から導き出された具体的成果といえます。……
本日の発表はまた、北朝鮮と米国とのより広い二国間関係への扉を開き、それによって、他の重要問題を話し合う環境が一層整うことでしょう。そうした問題には、普遍的人権、言論や表現の自由の促進、ブッシュ大統領の自由拡大構想に適った経済的・政治的分野での改革などが含まれます。
もちろんこれは本物ではない。二〇〇六年五月一五日、リビアとの関係正常化を発表した際のライス声明を元に、リビアを「北朝鮮」、トリポリを「平壌」に置き換えてみたものである。
が、おそらく六者協議の米側代表クリストファー・ヒル国務次官補あたりの脳裏には、こうした声明が、大いに実現可能性のある、また望ましいものとして思い描かれているのだろう。
すなわち、北による核放棄の見返りに、米側は国交正常化やテロ国家指定解除を行い、体制批判を意味する人権や自由については「話し合う環境が一層整った」程度の言い方で、実質的に先送りを図るというシナリオである。
その際、リビアより核開発が進行し(より強い核カードを有し)、また産油国でもない北朝鮮には、誘因として、リビア以上の見返りを示す必要があるというのが、米国内宥和派における共通認識といえる。
しかし、リビアの独裁者カダフィは、どこまでも例外と見なすべきだろう。金正日やイランのアフマディネジャド、シリアのアサド、刑死したサダム・フセイン等から見れば、米軍機の影に怯え大量破壊兵器関連の取引情報をアメリカに渡したカダフィは、モデル・ケースどころか、単なる腰抜けかつ裏切り者に過ぎないはずだ。
チーム・ヒルの危うさ
北京で六者合意の「次の段階」協議に入る初日とされた三月一九日の朝、記者団の前に現れたヒルおよびグレイザー財務省副次官補が、「北朝鮮との間で、バンコ・デルタ・アジアに凍結された資金の全額を返還することで合意した」「北朝鮮は、人道、教育など人々の生活向上のためにのみ資金を使うと約束した」云々と語るのを見て、多くの人々同様、私も唖然とした。この先、チーム・ヒルはどこまで墜ちていくのか、いや、降りていくのか分からないという気がした。
二月一三日付「初期段階」合意をまとめるに当たり、米側では、ヒル国務次官補、ビクター・チャNSCアジア部長、それに昨年六月、ヒルの「上級特別アドバイザー(Senior Special Advisor)」として国務省入りしたバルビナ・ファン前ヘリテージ財団研究員(写真)らが主導的役割を果たしたようだ。
チャとファンはいずれも韓国系米人で、ファンがジョージタウン大学で博士号を取った際、論文作成を指導したのが、当時準教授のチャだったという。二人とも、北の人権蹂躙、人間破壊行為に強い怒りを覚えるといったタイプではない。
ビクター・チャとは何度か面談したことがあるが、核問題が最優先、あらゆるカードはそのために用いるべきで、拉致を理由にした日本の単独制裁は攪乱要因となり賛成しかねるという雰囲気が、言葉の端々にはっきり窺えた。
バルビナ・ファンも、かねてより、核問題解決の妨げになるため、日本が六者協議に拉致問題を持ち出さないよう圧力を掛けねばならないと主張しており、一度ある研究会で、私が日本の対北強硬派の立場について報告したところ、「レジーム・チェンジが実現したからといって、必ずしも拉致問題が解決するとは限らない」と、何を言いたいのかよく分からないコメントを発したこともある。
三月半ばの六者会合は、結局、カネが振り込まれていないと北朝鮮側がごね、何の動きもないまま散会した。北の意を迎えるべく、バンコ・デルタ・アジア関連口座の凍結解除に奔走したチーム・ヒルは、衆人環視のもと、ただ時間を空費し、手ぶらで帰国するという無様きわまりない外交を演じた。アメリカの強硬保守派が、怒りの度を加えたのも当然だろう。
例えば国連の不正腐敗の追及などで知られるジャーナリスト、クローディア・ロゼットは、「ヒルが現時点で行っているのは外交ではない。金正日の汚れ物処理というべき行為だ」「ヒルが金正日のためにしないことが何かあるのだろうか」などと憤懣を書き連ねている(The Rosett Report, March 19, 2007)。
希望も含めてだが、ブッシュ政権が、対北政策の軌道再修正を迫られる日は、案外早く来るのではないか。
キム・ドンシク牧師拉致事件
三月初め、クリントン時代に北朝鮮との交渉を担当したチャールズ・カートマンが、六者協議北朝鮮代表の金桂寛をニューヨークのホテルに訪ね、その後、拉致は憎むべきだが「古い犯罪」であり、「北朝鮮をテロ支援国リストにとどめておく理由は、私の知る限り見あたらない」などと語ったという(ロイター発、三月四日)。カートマンは現在チーム・ヒルの一員ではないが、国務省内の雰囲気をかなりの程度映した発言といえよう。
テロ支援国リスト問題を考える際、アメリカ政治の文脈で、今後意味を持ってくるかも知れない資料がある。イリノイ州選出の超党派連邦議員団二〇人が連名で、北朝鮮の朴吉淵国連大使宛に出した二〇〇五年一月二八日付書簡である。
共和党のデニス・ハスタート下院議長、ヘンリー・ハイド下院国際関係委員長(肩書はいずれも当時。ハイド議員はその後引退)、民主党のリチャード・ダービン現・上院院内幹事(院内総務に次ぐナンバー2)、ラーム・エマニュエル下院議員(現・民主党選挙対策委員長)、二〇〇八年大統領選出馬で注目を浴びる黒人のバラク・オバマ上院議員などベテラン、若手の有力者が含まれている。以下、書簡の内容を紹介しておこう。
朴大使殿
この書簡は、イリノイ州議員団のメンバーたる下記署名者らが覚えているある心痛について、あなたおよびあなたの政府に伝えようとするものです。その心痛とは、韓国国民でかつ米国の永住権保持者であるキム・ドンシク師が、二〇〇年一月、中国東北部において、あなたの政府の工作員によって拉致され、北朝鮮に強制連行されたという事実認定を、二〇〇四年一二月一四日に、ソウル地検から、通知を受けたことに起因します。あなたの政府は、遺憾なことに、自ら認めたとおり、多くの日本人の拉致、またそれ以上に多くの韓国人の拉致に関わってきました。
御承知と思いますが、キム・ドンシク師は、イリノイ州シカゴの住民たるキム・ヨンファ夫人の夫であり、アメリカ国民である子どもたち(うち一人は、イリノイ州スコーキーに現住)の父に当たります。(中略)
地下ネットワークを通じて第三国に逃れる難民を助けようとした無私の努力において、キム師はわれわれに、アメリカで高い尊敬を集める二人の偉大な英雄を思い出させます。
一人は、ハリエット・タブマン夫人です。彼女は、リンカーン大統領が奴隷解放宣言を出す以前、拘束されていた人々を奴隷状態から解放するための「地下鉄道」を作り上げました。二人目は、スウェーデンの外交官ラウル・ウォレンバーグです。彼は、第二次大戦中、ファシズムに対する世界的闘争の暗い日々において、ハンガリーで動きが取れなくなったユダヤ人難民たちを救出しました。われわれは、キム・ドンシク師もまた、力のない忘れられた人々の脱出を助けた英雄であると見ています。
われわれはそれゆえ、朝鮮民主主義人民共和国の政府に以下のことを伝えたいと思います。われわれは、とりわけ、五年前北朝鮮に拉致されて以降のキム・ドンシク師の運命に関し、完全な説明がキム一家になされない限り、あなたの政府が国務省のテロ支援国リストからはずされることを支持することはありません(原文では傍点でなく大文字で強調)。敬具。
この書簡を、北朝鮮当局は当然のごとく無視しているが、国務省など米政府当局によっても無視されることがあってはならないだろう。
韓国人による優れた慰安婦論
慰安婦問題については、このところ、『ニューヨーク・タイムズ』『ワシントン・ポスト』『ロサンジェルス・タイムズ』等アメリカの偽善的リベラル・メディアによる、事実に基づかない安倍首相批判や、歴史を直視しない韓国メディアによる「歴史を直視せよ」式の居丈高な日本非難が頻繁に目に入ってきて、不快感が高まる日々だが、最近、二人の韓国人(一人は米国在住のコリアン・アメリカン)の筋の通った議論に接し、すがすがしい思いをした。
一人は、ソウル大学名誉教授で経済史の大家、現在、ニューライト財団理事長を務める安秉直氏、もう一人は、ワシントンで長年人権運動に取り組む「北朝鮮自由連合」副代表ナム・シヌ氏である。
安教授とは、昨年九月まで数年間、福井県立大学で同僚の関係にあったが、本号の座談会に詳しいソウル「定点観測」訪問の際、改めて長時間、韓国の政治状況や歴史に関し有意義な話が聞けた。その内、慰安婦問題に関する安教授の発言を、以下、メモ風に書き留めておく。
「関係者に依頼され、聞き取りも含め詳しく調査したことがあるが、私の知る限り、日本軍が女性を強制動員して慰安婦にしたなどという資料はない。貧しさからの身売りがいくらでもあった時代に、なぜ強制動員の必要があるのか。合理的に考えてもおかしい」「売春は本来暴力や詐欺行為が渦巻く世界だ。どこであれ、売春に関して悲惨な話が出てくるのは当然だ」「兵隊風の男がやってきて、といった証言もあるが、当時、兵隊のような服を着た人間はたくさんいた」「昨年、テレビでこうした見解を語って袋だたきにあったが、今後も同じことを言う。強制動員を示す資料はないというのは事実で、曲げようがないからだ。ニューライト財団の人々は、おおむね私の考えを理解している」「安倍首相は、厄介だから謝っておこうという態度を取ってはならない。それは韓国の議論をミスリードする」。
もう一人のナム・シヌ氏は、盧武鉉一派やチーム・ヒルを厳しく批判し、安倍政権の北朝鮮政策を高く評価する立場から、「現に中朝国境地帯で、脱北女性がセックス・スレイブにされている事実に目をふさいでいる連中が、慰安婦問題など過去の話を持ち出して善人ぶるのは、偽善の最たるもので許しがたい」など、大いに安倍擁護に回ってくれているらしい。四月末の安倍首相訪米が、彼ら在米人権活動家を一段と鼓舞する、価値観外交の名にふさわしいものになって欲しいと願っている。