【アメリカの深層25】元国防長官の危うい北朝鮮論 |
月刊正論2017年9月号
【アメリカの深層25】
元国防長官の危うい北朝鮮論
島田洋一(福井県立大学教授)
ウォールストリート・ジャーナル紙(以下WSJ紙)7月10日付けに掲載されたロバート・ゲイツ元国防長官の北朝鮮論は要注意である。
インタビュー記事をまとめたジェラルド・シーブ同紙ワシントン支局長は、冒頭、「いずれも不完全な対北オプションの中で、最も希望を持てるものは何か。この問いに答えるに、過去半世紀において、最も安全保障分野での要職経験豊かと言えるゲイツ氏以上の適任者はまず見当たらない」と述べている。
この記事がなぜ要注意か。内容については後で触れるが、まず、WSJ紙は、共和党主流派に立場が近く、トランプ政権がその論調に最も注意を払う大手メディアである。6月1日、トランプ大統領が温暖化パリ協定からの離脱を発表した重要演説でも、唯一引かれた新聞記事が当日朝のWSJ紙社説であった(同紙はパリ協定離脱に賛成)。
そしてゲイツ(1943年生)は、CIAの分析部門で約26年を過ごし、副長官まで内部昇進した上で、ブッシュ父政権時にCIA長官に任命された。いわば、良くも悪くも米情報機関の主流派エリートを代表する人物である。その後、ブッシュ長男政権の後半からオバマ政権の前半にかけて、連続して国防長官を務めた。すなわち、共和、民主の党派の枠を超えて、安全保障政策の担い手として穏健勢力全般から支持を得てきた人物でもある。
ゲイツは、2016年の大統領選挙中、トランプ候補を「修理不能」「軍の最高司令官にふさわしくない」などと批判したが、当選後は、ティラーソンの国務長官人事を真っ先に支持するなど、現政権との関係は悪くないとされる。
さて、インタビュー記事の内容である。ゲイツはまず、朝鮮半島における全面戦争の危険と破壊の大きさを考えれば、軍事力行使は選択肢とならないという。そして新たなアプローチとして、中国に次の提案を行うべきだとする。
まず、アメリカは北朝鮮が「2、30発まで(no more than a dozen or two dozen)」の核兵器を保有することを認める。その上で、北を国家承認し、平和条約締結の準備に入る。在韓米軍の編成替えも行う。見返りに北朝鮮側は、核兵器運搬システム(ミサイル)を「非常に短い射程」のものに留めると約束する。そしてこれらの核・ミサイル合意が守られているか、中国が責任を持って査察する。
「非常に短い射程」のミサイルというと、朝鮮半島内に限定された戦術核のみとも聞こえるが、ゲイツは同時に「現状の凍結」を強調してもいる。北が実戦配備済みの中距離ミサイル(ノドン等)を進んで廃棄するはずがない。結局、アメリカに届く長距離核ミサイルは認めないが、日本や韓国に届く核ミサイルなら20発程度は認める(両国全土を廃墟にするに十分な量であろう)という、トランプ氏ですら示唆したことがないほど露骨にアメリカ・ファースト的かつ宥和的な取引提案と言える。
さらにゲイツは、中国がこの提案を受け入れない場合、アメリカは厳しい対中措置に出る旨明確にすべきだという。その中身は、アジアにミサイル防衛網を敷き詰め、太平洋艦隊を増強し、北が発射した大陸間弾道弾と思えるものはすべて撃墜する、というものである。「中国は、これらすべての措置が自らに敵対的であると理解するだろう。対処しようとすれば、何十億ドルという軍事コストが掛かることになる」。ゲイツはそう胸を張るが、中国にとって別段ショッキングな部分はないだろう。
日本にとって、以上のゲイツ提案は論外以外の何ものでもない。中国政府が行う北の「査察」云々も、中国政府による劉暁波氏の「診察」と同程度の意味しか持たないだろう。しかし、記事をまとめたWSJ紙の有力記者は、ゲイツの案は外交アプローチとして比較的「賢明」と評価する。
このインタビューは、北で虐待されたオットー・ワームビア青年の死(6月19日)以降に行われている。にも拘わらず、人権に一言の言及もないのも、アメリカのエスタブリッシュメント(既存エリート層)の感覚を知る上で興味深い。