【天下の大道13】麻生「その程度の国」発言の国際感覚 |
WILL 2017年8月号
【天下の大道13】
麻生「その程度の国」発言の国際感覚
島田洋一(福井県立大学教授)
6月2日、麻生太郎副総理兼財務相がテレビ・カメラを前に、温暖化パリ協定からの離脱を表明した米国を「その程度の国」と穏やかならざる表現で批判した。
麻生氏は安倍首相の盟友であり、政権の屋台骨を支える1人でもある。その人の発言だけに危惧せざるを得ない。さまざまな問題点があるが、とりあえず国際連盟への不参加との比較に言及した部分に絞って見ておこう。
「もともと国際連盟をつくったのはどこだったか。(記者団に向かって諭すように)国際連合じゃないよ、連盟だよ。アメリカが作った。それでどこが入らなかったか。アメリカだ。その程度の国だということだ」。
まず、トランプ大統領のパリ協定離脱表明は、米国内で賛否両論の大きな嵐を巻き起こしている。麻生氏は、「その程度の国」ではなく「その程度の大統領」ないし「その程度の政権」と言うべきはずだったが、トランプ氏を名指しすることを本能的に恐れたためか、かえってアメリカ全体をけなす表現になってしまった。誤動作が悪しきスパイラルを描く典型的なパターンである。
また米側から、「では、その程度の国に安全保障を頼っている国はどうなのか。拉致された自国民を自衛隊が救出にいけないという日本はどの程度の国なのか」と反問されたら、麻生氏はどう答えるつもりなのだろうか。相手の軽い切り返しにも、口籠もらざるを得ないような挑発言辞は、特に同盟国に対しては、控えるべきだろう。
麻生氏が触れたとおり、確かに、第一次世界大戦後、ウイルソン米大統領が創設を主導した国際連盟に米国は参加しなかった。上院において、憲法が批准要件とする3分の2以上の賛成が得られなかったためである。
その際、特に野党共和党が問題としたのは、連盟規約の第10条であった。同条は、締約国が「各国の領土保全及び現在の政治的独立を尊重し、かつ外部の侵略に対し之を擁護することを約す」と規定している。これでは、米国の国益に直接影響しない海外の紛争にも自動的に巻き込まれかねないというのが野党側の追及点であった。結局、共和党の幹部らが、10条を「留保」した上で承認という批准案を提出、一部民主党議員も同調し、投票の結果、過半数の賛成を得た(出席議員84人の内、49人が賛成)。
この間ウイルソンは、10条「留保」は受け入れないという頑なな態度を取る。大統領が妥協に転じていれば、さらに賛成に回る民主党議員が増え、3分の2のラインを越えただろうといわれている。そして国際連盟が、「留保」付きだからという理由で、米国の参加を拒むことはあり得なかった。
さて、麻生氏が「その程度の国」と批判するのは、原案に「留保」を付けた共和党議員たちの態度を指すのだろうか。しかし国際機構において、公式非公式に、この手の条件付き参加は珍しいことではない。例えば現在、国際連合に、安全保障に関する「留保」付きで加盟している国がある。日本である。
国連憲章第42条は、「安全保障理事会は、…国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍または陸軍の行動をとることができる」と規定するが、日本は憲法上、安保理に軍事行動を求められても参加できないとの非公式の「留保」の上で国連に入っている。
しかも日本の場合、安保理非常任理事国として、加盟諸国に軍事行動を促す決議を推進する場合でも、自らは行動できないという、他国から見れば随分身勝手な態度を取っている。
少なくとも戦後日本に、「留保」付き批准案を推進したかつての米国議員たちを批判する資格はないだろう。
麻生氏の批判は、あるいは頑なな態度を崩さなかったウイルソンに向けられているのかも知れない。それならやはり、米国という国ではなく大統領個人を俎上に載せるべきだろう。
なお、満州事変後、国際連盟の一方的な日本非難決議を受け(日本というよりドイツの行動を牽制したい東欧諸国が、先例を作るため、強く推進した。英国などは、連盟の役割は非難ではなく調停だとして慎重姿勢を取った)、日本は行動の自由を拡げるべく、脱退の道を選んだ。もっとも付属諸機関の活動には参加し続けている。その点はアメリカも同じである。
アメリカは連盟本体にはじめから参加せず、日本は途中から参加を止めた。そこにどの程度の違いがあるのか。麻生氏に聞きたいところだ。ここでもアメリカが「その程度の国」なら日本も「ほぼその程度の国」ということになってしまおう。そして、そもそも国際連盟や国際連合にどの程度の意義があったかも問われねばならない。