慰安婦問題で議論する―ワシントンにて |
やはり、というべきか。
いま私がワシントンで意見交換しているのは、ほとんどが、北朝鮮に原則的で厳しい態度を取り、中国の制裁破りに対抗措置を取るべく具体的提案をしている人たちである。
ところが、安倍政権に何か注文があるかと聞くと、揺るぎない対北政策を大いに信頼するし基本的に注文はない、ただ一点、日米韓協力体制が重要な中、歴史認識とくに慰安婦問題で「見直し」を行って韓国を怒らせないで欲しいとの答が往々にして返ってくる。
黙って頷くわけにはいかない。
「軍が売春業者に営業を認めたのは事実だが、朝鮮人女性の強制連行などしていない。ただ、アメリカ人に、日本の主張を支持せよとは敢えて言わない、せめて、竹島の領有権問題と同様、日韓に対して中立という立場を取るよう求めたい、『両国の歴史家による研究・討議にゆだねる、ノー・コメント』と言えばよいではないか」と、私の意識ではかなり譲歩した反論をする。
ところが、例えば今日会ったヘリテージ財団のブルース・クリングナーは、北朝鮮問題では非常にしっかりした研究者だが、「賛成できない。領土問題と慰安婦問題は違う。日本も、ドイツのように明確に罪を認めて謝罪するのがよいと思う」と応じてくる。
時間も限られており、意見が異なるということで話を終えたが、慰安婦神話を受け入れている外国人に対し、いわゆる「右翼」だけでなく、多くの、普通の日本人が韓国の歴史捏造に怒っている、とのメッセージを継続的に伝えていく必要がある。
はっきり言って、鬱陶しい作業だ。バカの壁ならぬバカが寄ってたかって築いた壁を突き崩すのは実に大変である。
しかし、「慰安婦問題については、敵対勢力に政治利用されかねないのでノー・コメント。日韓両国の歴史家にゆだねたい」が、米側有力者の標準的答になるところまでは持っていけるし、そのための努力は徒労でないと私は信じている。
それにしても、河野洋平のように、反日勢力に迎合して日本の名誉を貶め、のみならず、巻き返しに努める同胞に、現在も後ろから鉄砲を撃ち続ける人間は万死に値する、とアメリカにいて改めて実感する。