北と中国を緊張させる「アメリカ人拉致」―『正論』2012年7月号より(1) |
下記は、月刊『正論』2012年7月号に載ったアメリカ人拉致疑惑に関する論考である。第1節と第3節を島田が、第2節と第4節を西岡力が執筆した。4回に分けて、ここにも転載しておく。
デヴィド・スネドン。中国にて。失踪前に、友人が撮った最後の写真。
北と中国を緊張させる「アメリカ人拉致」
西岡力(東京基督教大学教授、救う会会長)、島田洋一(福井県立大学教授、救う会副会長)
1.デヴィド・スネドン拉致疑惑の概要と家族の来日
2004年8月14日、東南アジア諸国と境界を接する中国南部の雲南省迪慶(デチェン)チベット族自治州シャングリラ県(香格里拉県。旧称、中甸)で消息を絶った米国青年デヴィド・スネドン(当時24)が、北朝鮮に拉致された可能性が高まってきた。
この拉致疑惑に、米下院外交委員会公聴会という公の場で、初めて言及したのが超党派の人権団体「北朝鮮人権委員会」の事務局長(当時)で米国有数の北朝鮮問題専門家チャック・ダウンズである。2011年6月2日、ダン・バートン議員とダウンズの間で次のようなやり取りが交わされている。
バートン 北朝鮮はわれわれが同政府に制裁を科す北朝鮮人権法を通したとき、NGOが報いを受けると言った。北は現にそんな行為に出たのか。NGOへの弾圧があったのか。
ダウンズ ……デヴィド・スネドンの不可解な失踪が、実は北朝鮮の拉致であると示唆するいくつもの状況証拠がある。
デヴィドの失踪1カ月後を皮切りに、何度も現地調査に訪れている家族も、この間北朝鮮の関与を強く意識するに至っていた。
なお、デヴィドは11人兄弟の下から2番目で、両親以下敬虔なモルモン(末日聖徒イエス・キリスト教会)教徒の家庭に育っている。2年間を韓国で宣教師として過ごし、韓国語を流暢に話した。帰国後、中国語の習得にも力を入れ、2004年春から北京の国際関係学院に短期留学し、修了後の一夏を、主に公共交通機関を利用し安宿に泊まりながら各地を踏破するいわゆるトレッキングで中国の南方を回った後、在籍するブリガム・ヤング大学(ユタ州)に戻り、法科大学院への進学を目指していた。ところが、雲南省の景勝地、虎跳峡(Tiger Leaping Gorge)をハイキングでシャングリラ県に到着、一日余りを過ごし、同地の韓国レストランで食事を取ったのを最後に行方が分からなくなった。
ダウンズや家族が、単なる事故や犯罪の可能性を否定し、北朝鮮による拉致の疑いが濃厚とする根拠はおおむね以下の通りである。
・雲南省は、北朝鮮難民が、中朝国境から中国領内を南下してタイ・ミャンマー・ラオス・ベトナムなど東南アジアに抜ける脱北ルートの最終地点に当たっている。そのため北朝鮮は同地に特務機関員を送って網を張り、中国当局の協力も得て、脱北者および支援者の摘発に当たっていた。
・デヴィドは南方行きの旅に出る直前、北京で友人(米国人留学生)と5日間を過ごしている。北朝鮮に近い延辺大学(中国北部の延辺朝鮮族自治州延吉市にある)で朝鮮族研究に従事していたその友人は、北朝鮮での現地調査を申請して却下され、その後国外退去を命じられていた。中国当局はその友人を監視対象にしていたであろう。南方に向かうデヴィドを、中国および北朝鮮当局が友人と取り違えた、あるいはデヴィド自身が脱北支援者と疑われた可能性がある。
・デヴィド失踪の1カ月弱前、7月21日に米下院が、脱北者の保護・受け入れ規定を含む北朝鮮人権法を可決し、北朝鮮は強く反発していた。
・7月28日、ベトナム政府が、自国に滞留する北朝鮮難民468人の韓国移送を決定。北朝鮮はベトナムを非難すると共に、「米国が喧伝する人道主義の看板の下、共和国(北朝鮮)の同胞を脅迫し、誘い出し、移送したことで、いくつかの国にあるNGOに対し報復する」と宣言していた。
・デヴィド失踪の1カ月強前、7月9日に、チャールズ・ロバート・ジェンキンスが二人の娘とともに北朝鮮を離れ、先に帰国していた拉致被害者曽我ひとみとインドネシアで面会、日本への脱出に成功する。逆に曽我を北に戻すべく策していた北朝鮮当局としては失態であり、腹いせないし「損失」穴埋めのため、新たな米国人拉致を企図した可能性がある。
・標準的発音のアメリカ英語を話し、韓国語に堪能なデヴィドは、北で英語教育を担わせるに最適の人材であったはず。
・共産党政権成立後の60年間、中国で行方不明のままの米国人はデヴィドのみ。登山中の事故死などのケースでは、遺体が回収されたり、死亡状況が確認されている。
・犯罪集団の行為なら、乱暴な手口から何らかの痕跡が残り、また目撃者がいてもおかしくない。パスポートが売り買いされた形跡もない。
・デヴィドは信仰心が厚く、両親や兄弟との仲もよかった。ユースホステルに残された聖書には母と二人で写った写真が挟まれてあった。父との関係も、家の新築作業に二人で当たるなど、兄弟中でデヴィドが最も親密だったという。突如家族と連絡を絶っての駆け落ちは考えられない。失踪後にクレジット・カードが使用された記録もない。
ダウンズは、デヴィドが最後に食事に寄った韓国レストラン近くで拘束され、その後、北の工作員によって車でミャンマーまで運ばれ、海路北に連れて行かれたのではないかと推測している。ミャンマーでは、軍事政権による2003年のアウンサン・スーチー軟禁後、アメリカ主導で民主主義諸国が制裁を強化しており、ミャンマー政権は中国及び北朝鮮との関係を深めていた。
さて、チャック・ダウンズは、先に触れた米議会での証言と前後して、テレビの「FOXニュース」でもデヴィド拉致疑惑に言及している(2011年5月15日放送)。しかし、日本人や韓国人の拉致はあっても、「まさか世界最強の米軍を敵に回すアメリカ人拉致はしないだろう」との一種の思い込みないし過信もあり、米国政府や議会、一般の反応は鈍かった。
この状況を打ち破るため、デヴィドの両親と兄ジェームズ(5年に及ぶ日本滞在で日本語に堪能)が、今年4月28日に東京で開かれた拉致問題「国民大集会」を機に来日する。集会でジェームズが日本語で日米協調を訴えるとともに、松原仁拉致担当大臣、家族会、救う会、拉致議連の役員らと意見交換し、今後の共闘を約した。
スネドン家としては、北朝鮮による拉致の実態をよく知る日本側関係者の目で事件を見、アメリカに再発信してほしい、日本世論のバックアップでアメリカ世論を動かし、ひいてはアメリカ政府を動かしたいとの思いを、相当程度実現できた来日だったのではないか。
日本側の関係者からは、北朝鮮による拉致の可能性濃厚というチャック・ダウンズやスネドン家の判断に何ら異論は出ず、5月6日から予定された訪米に際し、デヴィド拉致問題を柱の一つに据えて、米政府、議会要人、民間有識者らに当たるべく準備を急ぐこととなった。
(つづく)