〈インタビュー〉 保守の復権を目指して (『教育再生』2月号)その1 |
下記は、日本教育再生機構の機関誌『教育再生』(平成21年2月立春号)に載ったインタビュー記事である。2回に分けてここにも転載しておく。会員向けには2月7日に配送されたと聞く。
保守の復権を目指して
元調査官が語る「教科書」「拉致」「オバマ」
島田洋一(福井県立大教授、日本教育再生機構代表委員、教科書改善の会賛同者)
聞き手・八木秀次(日本教育再生機構理事長)
八木 私たち日本教育再生機構は、扶桑社の中学歴史・公民教科書を継続発行する育鵬社を支援する教科書改善の会(屋山太郎代表世話人)の事務局を担当しています。
元文部省教科書調査官で扶桑社の公民教科書の監修者でもあり、育鵬社の教科書づくりにご協力いただいている島田洋一先生に、公民教科書はどうあるべきかを語っていただきます。まず教科書調査官時代に体験した検定の実態からお聞かせください。
外務省が検定介入
島田 私は昭和63(1988)年4月から平成4(1992)年3月まで政治担当の教科書調査官を務めていました。『愛国心の経済学』(扶桑社新書)が話題になっている磯前秀二名城大教授(日本教育再生機構代表委員、教科書改善の会賛同者)は同じ時期に経済担当の調査官で机を並べていました。
社会科の教科書執筆者というのは大体が共産主義者かそのシンパで、かつては調査官が「スターリンにも悪いところがあったんじゃないか」と意見を言うと「社会主義が間違っているとでも言うのか」と詰め寄られたそうです。
しかし私が調査官をしていたのはソ連が崩壊する時期でしたから、やりやすかったですね。教条主義的な執筆者と編集者に「東ドイツは共産主義の理想を実現しましたね。国家の消滅という理想を」と皮肉を言ったら、向こうは不快げな顔をしつつも黙っていました(笑)。
八木 国際情勢の面では社会主義が崩壊しましたが、国内的な問題はどうでしたか。
島田 憲法問題は面倒でしたね。偏向教科書がよく使う題材に、文部省が終戦直後に出したパンフレット『あたらしい憲法のはなし』があります。そこには「兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです」「これを戦力の放棄といいます。『放棄』とは『捨ててしまう』ということです。しかしみなさんは,けっして心細く思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国より先に行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません」と書いてあります(挿絵下記)。
文章も稚拙で古くさく、ある時代状況に迎合した官製パンフレットに過ぎません。国際政治の厳しい現実を見据える必要があるのではと指摘すると、執筆者側は「これ、文部省が発行したものでしょ?」とここぞとばかり切り返してきます。
八木 私の経験を言いますと、扶桑社の公民教科書の最初の検定のとき、憲法改正に賛成する意見があるという記述と反対する意見があるという記述を同じ分量にさせられました。それから、北朝鮮による日本人拉致事件については、警察白書の記述を元にしたにもかかわらず「これが事実だとすれば」という言葉を入れさせられました。島田先生は公民の調査官でしたが、歴史はどんな状況だったんでしょう。
島田 歴史は大変だったと思います。検定の合否を決める教科用図書検定調査審議会には外務省OBの委員が3人いました。建設的な意見も言ってはくれましたが、「近隣諸国条項」に関わる近現代史の特定の部分についてはかなり神経質にチェックしていたようですね。
八木 扶桑社の歴史教科書の最初の検定が行われていたとき、検定審委員の野田英二郎元駐インド大使が妨害工作を行いましたが、外務省OBの検定審委員はその前から教科書を悪くしていたのですね。
島田 外務省には、プロである自分たちがチェックしなければ文部省・文部科学省はすぐ外交問題を起こすという不信感が根強くあります。外務省OBが検定審に入って目を光らせねばというわけです。
しかし、慰安婦問題にせよ、とにかく謝っておけという外務省の姿勢が反日勢力を勢いづかせてきた経緯があります。外交の場で日本の名誉を守るという本来の職務をおろそかにしながら、「とにかく謝罪」外交を教育の場まで持ち込もうというのはとんでもない話です。もっとも、政治家の責任がより大きいとは思いますが。
「拉致」と「教科書」は不可分
八木 島田先生は拉致被害者を「救う会」の副会長として知られています。
島田 テロ国家に囚われた同胞の救出も、左翼イデオロギーに毒された教科書の正常化も、いずれもそれ自体として重要な課題ですが、さらに言えば、「伝統的価値を守りつつ、正義を実現できる力をもった国家の確立を目指す」という日本の保守革命を追求していく中で、両者は必然的に連動するものだと思います。
八木 拉致事件に関心を持つようになったきっかけは何ですか?
島田 大学院の修士論文で、第二次大戦直後から安保条約締結までの日米関係を朝鮮半島問題に焦点を当てて論じました。その時から北朝鮮が拉致を行っているという確信がありました。
教科書調査官を経て平成4年、福井県立大学に助教授として赴任しました。福井には地村保志さん、浜本富貴恵さんという拉致被害者がいます。ある時地元有志が「救出集会」を企画し、その実行委員長を頼まれ引き受けた時から、運動にも関与するようになりました。福井以外の土地に赴任していれば、あるいは運動に直接関わることはなかったかも知れません。
八木 扶桑社の公民教科書は拉致事件を初めて記述しました。小泉訪朝を受けて各社も取り上げるようになりましたが、島田先生が監修している扶桑社の教科書ほどきちんと書いているものはありません。世界には悪い国があるということを公民教科書はなぜ書かないのでしょうか。
島田 国を守る姿勢がないと周りから食い物にされるという現実が知られるとまずいのでしょう。国を飛ばして「宇宙船地球号」的な説明をする教科書が多いですね。
八木 まず日本国憲法から説明するからいけないんですね。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と。世界中が「平和を愛する諸国民」で「公正と信義」があるなんて現実はないわけですから。
島田 先ほど、教科書検定の際に憲法問題は面倒だったと言いましたが、9条より前文のほうが厄介なんです。9条の場合は「芦田修正」で「前項の目的を達するため」の一句が入り自衛力は持てるという政府見解があり、文科省にもその一線は守るという姿勢があります。しかし、前文の空想的平和主義を巧みに援用されると検定意見を付けられないですね。
八木 集団的自衛権はどうですか。
島田 集団的自衛権の行使は、基本的に首相が「違憲ではない」と表明すれば済みます。
検定の場で文科省がどう対応すればいいかというと、簡単なんです。集団的自衛権は国連憲章51条でも認められているという事実を前面に出せば、左翼勢力も強くは闘えません。
それに、自衛は時に集団的に行う必要があるというのは常識です。非常識な憲法前文を擁護しろと言われると苦痛ですが、常識の側で戦うのは気分的に楽ですよ。爽快と言ってもいいくらいです。
(つづく)