KAL機爆破テロ時の駐韓大使ジェームズ・リリー氏との面談 |
下記ニュースについて
日本でも、大韓航空(KAL)機爆破テロは韓国の自作自演と、北を擁護するインテリが少なからずいた(今でもいる)から、韓国の状況を単純に嗤えない。
金正日が拉致を認めていなければ、社民党、共産党の幹部、和田春樹(元・東大教授)などはいまだに「拉致の証拠はない」と力説していたであろう。
以前、KAL機事件発生時に駐韓米国大使を務めていたジェームズ・リリー氏(写真)と面談中、次のような話になった。
横田拓也氏が、金賢姫の教育係を務めさせられた田口八重子さんを例に挙げ、大韓航空機爆破等のテロが北の犯行と明らかになるため拉致被害者を還そうとしないと述べると、リリー氏は、「ばかげている。被害者を還そうが還すまいが、大韓航空機事件が北の犯行であることは明白だ。私は、あの時駐韓大使だった。よく知っている」と声のトーンを上げた。
上記の一節を含む旧稿を、ニュースに続いて載せておく。チャック・ダウンズが早くからクリストファー・ヒルは駄目だと一蹴していたのも、さすがだったと思う。
James Lilley
イザ!ニュース
金賢姫元死刑囚「謀略説に苦悩」の書簡 “親北”盧政権を批判
11/25 22:21更新
【ソウル=黒田勝弘】北朝鮮の女性元工作員で大韓航空(KAL)機爆破テロ事件の犯人・金賢姫(キム・ヒョンヒ)・元死刑囚が、親北・左翼的だった盧武鉉前政権時代、情報機関の協力の下でテレビ各局などが繰り広げた“KAL機事件謀略説”に対し抗議と怒りの書簡を発表し話題になっている。
書簡は人権団体の李東馥(イ・ドンボク)北韓民主化フォーラム代表に送られてきたもので、金賢姫の対外的な訴えは初めてだ。
書簡は彼女が北朝鮮で受けた工作員教育の際、日本語を教えてもらったという田口八重子さん(北朝鮮では李恩恵)について「彼女の存在と彼女が拉致日本人だったことは北朝鮮も認めているではないか」とし、謀略説とそれに便乗した政府機関、親北・左派勢力のでたらめさをあらためて非難している。
謀略説というのは「事件は韓国当局がデッチ上げた自作自演で北朝鮮は関係ない。金賢姫はニセ者」というもので事件当時、北朝鮮当局や在日朝鮮総連、日本の親北・左翼系などによって流布された。
国際的には「北朝鮮のいつものでたらめ宣伝」としてほとんど相手にされなかったが、社会的に親北・左派勢力が幅を利かした前政権時代になって「過去史真相究明委員会」など政府機関やマスコミなどで大まじめに取り上げられ、執拗に”金賢姫追及”が行われた。
金賢姫がとくに問題にしているのは、確実な捜査結果や彼女の自供内容は紹介せず「金賢姫とは何者か」「16年間の疑惑と真実」「金賢姫の疑問の足跡」など題して一方的に謀略論をあおったテレビ各社。しかも彼女を管理していた情報機関の国家情報院は、偏向報道に利用されることを知りながら彼女に対しテレビ出演やインタビューをしきりに勧めたという。
これまで彼女の住所は北朝鮮による報復テロなどの危険性から秘密になっていたが、テレビは情報機関の協力で自宅に押しかけ撮影までしたため移転を余儀なくされた。また情報機関は”海外移民”まで勧めたという。
書簡は、謀略説の最大の狙いは「テロ作戦は金正日総書記の指示」とした彼女の供述をひっくり返すことだったとし、テレビ制作陣は彼女を出演させ彼女が「良心宣言」をすることを画策したという。
国家情報院に対する不満、批判としては、盧武鉉政権時代の政治的な過去否定作業の中で、1987年のKAL機事件捜査を担当した前身の国家安全企画部に対する否定的見方が強く、親北風潮に便乗し謀略説にき然と対応していないとしている。
彼女は田口八重子さんに関連し「彼女が残してきた幼い2人の子供に会いたいと涙ながらに語っていた姿を思いだします。成人になった息子の様子を日本のテレビで見ましたが大きな目がお母さんに似ています。会ってお母さんの話をしてあげられない私の現実が残念です」と記している。
金正日にテロを命じられ、実行。拘束後、マニュアルに従い服毒自殺を試みるが失敗、護送される金賢姫(1987年12月15日)
『現代コリア』2005年12月号
アメリカはどう動くか(12)
島田洋一(福井県立大学教授)
家族会・救う会訪米団
拉致被害者家族会・救う会訪米団の一員として、10月24日(月)成田発、30日(日)帰国の日程で、ワシントンを訪れた。増元照明家族会事務局長(団長)、横田拓也同事務局次長、私(救う会副会長)というメンバーである。
ワシントンに到着したのは、現地時間の24日午前11時頃、その日はまず在米ボランティアらと簡単な打ち合わせの後、市内のホテルでコーヒーを飲みながら、北朝鮮問題専門家チャック・ダウンズ氏を囲み、最新情勢について色々話をした。
ワシントン事情に通じ、核・人権問題にも詳しく、率直な人物評も語ってくれるダウンズ氏は、われわれにとって得難いガイド役である。
アメリカの対北政策の現状については、まず一言、「いらだたしい(frustrating)」と顔をしかめた後、クリストファー・ヒル国務次官補以下、国務省方面では、九月の六者協議「共同声明」を意義ある成果と自賛し、お互い背中を叩き合っているありさまで、彼らの戦略眼のなさ、官僚体質は度し難いと言っていた。
レフコウィッツ北朝鮮人権問題担当特使についても、任命(9月)以来の動きが遅いことに不満を感じているようだった。
関係者によると、レフコウィッツ氏は、ようやく国務省内におけるオフィスの整備やスタッフの人選を終え、この週後半から、本格的に人権特使としての活動を始めるとのことだった。同氏とは、後で触れるように、訪米の最終日、金曜日(28日)午前11時半から約45分間、国務省四階の会議室で面談した。
結局のところ、ダウンズ氏も、「北朝鮮」は、誰もが放置できないとは言いつつ、「中東」との優先順位争いで後塵を拝しており、そこを逆転する決め手は、ワシントンの政治力学の内部には、今のところ見いだせないとの認識のようだった。
リリー大使、NED
翌10月25日は、まず午前九時半から、共和党系の大手シンクタンクAEIで、ジェームズ・リリー元駐中、駐韓大使と面談した。かつてAEIで同僚だったジョン・ボルトン国連大使ほど強硬ではないが、北京やピョンヤンに宥和政策は禁物という点では、主張は一貫している。
リリー氏は現在77才。4年半前の第一次家族会・救う会訪米時にも会ったが、いまだ元気な様子で、近々所用で韓国に行くと言っていた。
席上、横田拓也氏が、金賢姫の教育係を務めさせられた田口八重子さんを例に挙げ、大韓航空機爆破等のテロが北の犯行と明らかになるため拉致被害者を還そうとしないと述べると、リリー氏は、「ばかげている。被害者を還そうが還すまいが、大韓航空機事件が北の犯行であることは明白だ。私は、あの時駐韓大使だった。よく知っている」と声のトーンを上げた。
昨年出した回想録の中でリリー氏は、次のように書いている(James Lilley, China Hands. 日本語版が近く草思社から出版の予定という)。
飛行機が消えたと聞くや、私は、これは北朝鮮の仕業だと確信した。「恐ろしいことを仕掛けてきた」私は自らに言った。「真相を明らかにし、事実をもって連中を叩き伏せてやろう」
リリー氏のもとを辞した後、その足で、米国民主主義基金(NED)本部を訪れ、カール・ガーシュマン総裁ほかアジア担当のスタッフと懇談した。
NEDは、レーガン時代に設立された公的財団で、ソ連・東欧圏崩壊の過程では、ポーランドの「連帯」をはじめとする民主化勢力への資金援助など一定の役割を果たした。
その総会で、ブッシュ大統領、チェイニー副大統領クラスが基調講演を行うことからも、影響力の大きさが窺える。
もっとも、NED等の財団は、力があるといってもあくまで脇役にとどまるだろう。ソ連東欧の揺さぶりにNEDが貢献できたのも、レーガン大統領による攻撃的戦略が背後にあってのことだ。政治の主導性がないところでは、薄く広くカネをばらまくだけの機関に終わりかねない。
そこで、北朝鮮政策に関し「政治の主導性」はどうなっているのか、今後米政府はいかなる対北戦略を採るつもりなのか、この日午後2時から面会したマイケル・グリーン・ホワイトハウス国家安全保障会議(NSC)アジア上級部長に聞いてみた。ビクター・チャNSC日本朝鮮部長も同席した。
マイケル・グリーン
グリーン氏からは、オフレコと断った上で、かなり率直な発言があった。具体的には書けないが、六者協議に関する現状認識など、基本的に私と同じだと分かった。
参考のため、私の署名記事「救う会メール・ニュース9月22日付」から、六者協議の位置づけに触れた部分を、抜き出しておきたい。
……六者協議が続いている限り日本は北朝鮮に制裁を発動しないというイメージを与えると、「圧力」は事実上ゼロと化す。北としては、核協議を引き延ばせば、その間、核ミサイル開発も続けられるし、日本の制裁発動も回避できるという一石二鳥の話になる。……六者協議自体はどこまでも猿芝居である。北はそのことを知った上、猿芝居の陰で、着々と核ミサイル開発を進めている。本当の力勝負は、北京がしつらえる虚飾の舞台の裏で進行していく。
日本が、猿芝居への「悪影響」を憂慮し、制裁というカードを切らないなら、勝負所すら得られないまま敗北することになろう。
金正日一派が、交渉によって核ミサイルを放棄するなどありえない。アメリカで次期大統領選が行われる2008年11月を、とりあえずの逃げ込みラインと設定し、宥和的な民主党政権誕生に期待しつつ、なんだかんだと「核協議」を引き延ばすというのが北の思惑であろう。
グリーン氏の言葉から忖度すれば、米政府中枢部にも、こうした認識ははっきりあるようだ。
したがって、北が逃げ込みに成功する前に、裏面の力勝負を通じ、体制を崩壊させられるかどうかがポイントになる。カギはやはり、北京にどこまで協力させられるか、少なくとも黙認させられるか、そのため、どう圧力を掛けるかかといった点にあろう。
中国政府の「協力度」の現状および将来展望ついては、ブッシュ政権に近い人々の間でも、見方は分かれるようだ。この問題については、来月以降、稿を改めて、詳しく論じたい。
グリーン氏はまた、アメリカは北朝鮮人権特使を設けたが、日本などアジア諸国も同様の特使を設けてもらえると、相乗作用で大いに効果が高まるだろうと言っていた。その通りだと思う。アメリカの特使を孤立させないためにも、日本の政府、議会に速やかな対応を求めたい。
小泉氏は過去に、岡本行夫、山崎拓、川口順子氏等を、外交案件担当の首相補佐官に任命してきた。例えばこのポジションを使えば、明日にでも、「北朝鮮人権問題担当首相補佐官」が実現できるはずである。
「北朝鮮自由連合」総会
今回の訪米では、スザンヌ・ショルティ氏が実質代表を務める人権運動団体、活動家の糾合体「北朝鮮自由連合」(NKFC)総会にもゲスト参加した。60名ぐらいが集まって盛会だった。キリスト教保守派を中心とする民間活動体との連携が一層深められたと思う。ショルティ氏のお母さんも参席しており、「スザンヌの母です」と自己紹介していた。
総会の会場は、韓国から来る政治家などがよく利用するコリアン・レストラン「ウー・レオク」で、私の舌には、ここの料理は本格的でうまいと感じられる。午後7時開始だったが、アルコール類は一切出なかった。
冒頭に挨拶の時間をもらえたので、増元、横田両氏を紹介かたがた、「皆さんと一緒に、いかに北朝鮮のレジーム・チェンジを促進するか、さらには、いかに大陸中国のレジーム・チェンジを促進するかを考えたい」と言うと、「中国」の部分で、一部から大きな賛同の声と拍手が起こった。
続いて、ソウル在住の脱北者(元軍人)で対北ラジオ放送を準備している「自由北韓放送」代表キム・ソンミン氏(下院公聴会での証言のため訪米中。後述)が挨拶し、その後、ショルティ氏の進行で、具体的な議事に入った。
国連総会での「北朝鮮非難決議」や、米議会での連続公聴会の実現に向けた関係各方面への陳情の段取り、来年4月23日から29日を、アメリカにおける「北朝鮮自由化週間」と銘打ち、集中的にイベント、活動を行うこと等が話し合われた。
拉致問題を抱える日本ですら、北朝鮮の人権蹂躙に対する政界、一般の関心は決して高くない。直接の被害者がいないアメリカにおいて、北の人権問題への関心を持続的に高めていくのは、並大抵のことではないだろう。日米(さらには韓)の運動の相乗作用が重要になると改めて感じた。
ヘンリー・ハイド
議会方面では、4月の増元・島田訪米時に続き、ヘンリー・ハイド下院国際関係委員長が、訪米団を委員長室に招いてくれた(10月27日。写真)。大使でも滅多に会えないという大物議員が、単なる民間人のわれわれに年に2回も時間を割いてくれたこと自体、非常に意味深いメッセージである。
周知のように、ハイド氏は、アメリカにおいて、韓国の盧武鉉政権に対し最も厳しい態度を取ってきた議員である。われわれとの面談でも次のように語り、暗に、同胞を見捨てて金正日に媚びを売る盧武鉉一派を批判した。
報道によると、北朝鮮は、最近、韓国市民の拉致を自白したらしい。ピョンヤンは、朝鮮戦争時の韓国軍捕虜も、相当数、拘束し続けている。それら捕虜は、奴隷労働を強いられてきた。
韓国の民主主義を守るという共通の理念のため、かつてアメリカと同盟して戦った老兵たちが、意思に反して半世紀以上も囚われているというのは、とりわけ心穏やかならざる話だ。
われわれからはまず、米下院がハイド委員長を主提出者とする「韓国人・日本人拉致非難決議」を通してくれた(7月)ことに礼を述べた。
ハイド氏は、上院でも早く同趣旨の決議が通り、上下両院決議となれば一層よいと述べ、かたわらの上級スタッフ、デニス・ハルピン氏に対し、われわれの滞在中に、上院外交委員会のリチャード・ルーガー委員長(共和党)、ジョゼフ・バイデン民主党筆頭理事の事務所で事情を質せるよう手配してくれと指示した。
ハルピン氏の素早いアレンジで、翌日午後、ルーガー議員のスタッフ、キース・ルース氏、バイデン議員のスタッフ、フランク・ジャヌージ氏に、ルーガー事務所で会うことが出来た。
やはり、まず核問題を最優先に、経済支援との引き換えで解決すべきで、人権など他の要素は当面持ち込むべきでない、と主張するバイデン議員が、「拉致非難決議」の最大のブレーキ役となっているようだ。(本誌9月号「アメリカはどう動くか」(9)参照)
「米朝」をにらんでの日朝協議再開
われわれがハイド委員長と会っているちょうどその時間、同じ下院ビル内で、北朝鮮のハン・ソンニョル国連次席大使の講演会が開かれていた。国務省と対北「対話派」議員が共同企画したもので、北朝鮮政府の人間が米議会の建物で話をするのは始めてだという。
講演を直接聴いた古森義久・産経新聞ワシントン駐在特別編集委員によると、ハン・ソンニョルは用意された原稿を読み上げ、「あの日本ですら、国交正常化交渉再開に応じてきた。アメリカも早く北との正常化交渉に入るべきだ」と強調したという。
実はこの前日、日朝協議が翌週再開との発表がなされていた。いかにも、北朝鮮はワシントンをにらんで、このタイミングで日朝再開に応じてきたなというのが、アメリカで一報に接しての実感だった。
「日朝」が険悪化すれば、「米朝」も進まない、それどころか日米が人権問題で結びつくなら「米朝」も険悪化し、北にとっては、2008年に向けた逃げ込み戦略が危うくなる。日朝関係が荒れて困るのは北の方であり、「対話を切らさない」云々と日本側があれこれ気を遣う必要など全くないのだ。
なお、スザンヌ・ショルティ氏によると、この日(27日)昼過ぎ、議会内で一部米議員がハン・ソンニョルを歓送しているちょうどその場に、午後一時半から下院公聴会で証言予定のキム・ソンミン氏ら脱北者三人とショルティ氏が行き合わせた。
キム・ソンミン氏が韓国語で「金正日追放こそが朝鮮半島平和への道だ」と書いた紙を掲げ、立ち去るハンに向かって、口頭で同じ言葉を投げ掛けると、ハンは、「死にたいのか」と恫喝してきたという。
この模様を報じた『ワシントン・タイムズ』11月1日付の記事に、ショルティ氏の次のようなコメントが載っている。
北朝鮮人民の悲惨な状況を白日の下に晒そうと努力する議員がいる一方で、野蛮な政権の代表者を持ち上げ、残虐行為を覆い隠そうとするかに見える議員もいる。嘆かわしいことだ。
紙数が尽きてきたので、最後に、レフコウィッツ特使との面談(下写真)について一言触れておきたい。
中東優先の流れの中、北朝鮮人権問題特使が設置された(「イラン人権問題特使」はまだ存在しない)というのは、米政治の関心を北の方に向けさせる上で大きなカードである。レフコウィッツ氏には、願わくは、かつての日本の中山恭子参与のような、宥和主義者にいやがられる存在になってもらいたい。
今回の面談では、同氏はもっぱら聞き役に回ったが、その表情や質問内容からして、勘の鋭い人であることは間違いない。
私から、次のような要望をした。
「われわれはあなたのサポートを期待するが、こちらもあなたを全面的にサポートする。ブッシュ大統領の『悪の枢軸』演説は、われわれを大いに鼓舞した。あなたも遠慮なく、金正日を批判してもらいたい」
これに対し、同氏は笑顔でサンキューとうなずいた。速やかな、そして力強い行動に期待したい。