「失言」の種類と任命責任の度合い |
理由を聞いてくれと言わんばかりに顔に張りつけた絆創膏の理由を聞かれて、「何でもありません」「大したことではありません」と、追及してくれと言わんばかりの対応を続けた赤城徳彦・前農水相については、“失言”というより、聞いている側が言葉を失ったが、この場合、私は安倍首相に同情的だ。
仮にも国会議員を何期も務め、48才にもなった男が、政策ではない日常の些事で、小学校低学年並みの受け答えしかできないなどと、予想することは不可能だからだ。この件などは、不慮の事故に近いと思う。
一方、久間防衛大臣については、同盟国アメリカを不必要に苛立たせ(正面からの建設的批判なら、時には必要だが)、左翼勢力に秋波を送るような発言を続けており、首相の任命責任を問われる度合いは大きい。
久間氏は、首相の盟友や「友だち」ではなく、色々目配りした結果の妥協的人事だったろう。
あそこまで軽い男とは思わなかった、という声を各方面で聞くので、何とか無難に務めるとの判断だったのだろうが、理念的に信用できない人物を起用しての失態だけに、心理的に救いがない。
閣僚ではないが、山本拓・農水副大臣の「芸者の花代」発言、「あれは冗談だった」釈明には、私は何ら驚かなかった。地元福井選出の議員だけに、あれはああいう男だという話を色々聴いていたからだ。
あっけらかんとした媚中派で、福田康夫の懐刀を自任している(福田氏としても、足を引っ張られ迷惑だろう。山本氏には、ぜひ今後も、福田氏にしがみついていって欲しい)。
なお、中川昭一氏の「核武装についても議論すべき」といった発言は、弁護しがいのあるものだし、問題になればなるほど、細かな事務諸費問題などが後景に退くという意味でも、歓迎すべきものだ。
要するに、中川昭一的「失言(=正論)」を吐く人を大いに起用し、久間・山本拓的人物は決して起用しない、赤城的人物はある程度事故なのでしょうがないが(「しょうがない」というと久間的失言になるので取り消すが)、ああいう頼りなさげな人物は起用しないのが無難ということだろう。