北朝鮮に補償(経済協力金)は不要 |
下記は、『諸君!』2006年4月号の特集「もし韓国・北朝鮮にああ言われたら――こう言い返せ」に掲載後、鄭大均、古田博司編『韓国・北朝鮮の嘘を見破る』(文春新書、2006年)に収めた一文である。
北朝鮮に補償(経済協力金)は不要
島田洋一(福井県立大学教授)
2006年2月初旬、北京で再開された日朝国交正常化交渉において、北朝鮮側は、「経済協力方式では、人道上の罪に対応できない」として、日本に対し、国家間の経済協力に加え、「犯罪行為」の被害者に対する個人補償をも要求してきた。
2月9日付朝鮮中央通信は、日本は「朝鮮への侵略とその国民に対して冒した最も忌まわしい犯罪行為に対し謝罪し補償すべきだ」と力説し、「犯罪行為」の中身を、「840万人以上を強制連行あるいは拉致し、砲弾の餌食、ドレイ労働に使用」、「そのうち100万人以上を虐殺」、「20万人以上の朝鮮女性を強制連行あるいは拉致」して軍「慰安婦」とした、などと敷衍している。
「日本は、政府と軍によって直接組織され強要された集団的な性奴隷制を布いた歴史上唯一の国」という解説も付いている。
外務当局は及び腰の反論
北朝鮮側のこうしたプロパガンダ自体は、目新しいものではない。問題は、今回もまた、しっかり中身に立ち入って反論しようとしなかった日本側の姿勢である。
北朝鮮は、国連の場などで同種の日本非難を繰り返してきた。それに対する日本政府の「反論」は、(一)北が挙げる数字は過大である、(二)日本は何度も謝罪と反省の弁を述べている、という二点セットに終始している。
これは、北の虚偽宣伝を事実上認めたに等しいものであり、およそ反論というに値しない。二月の日朝協議でも、日本側代表団はやはり、数字が過大、しかし北がいう「犯罪行為」の問題も含め経済協力で対応したい、とのみ答えたという。
今後北は、日本から最大限のカネを獲るべく、ますます歴史歪曲に力を入れてこよう。及び腰の正常化交渉のせいで、歴史教育の正常化にまでマイナス影響が及びそうだ。外務当局の無責任の罪は重い。
2002年9月17日の日朝平壌宣言(小泉・金正日宣言)は、「日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した」と述べている。
余計なことを書き込んだもので、前文にある「日朝間の不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し」という文句で必要充分だった。
大きな歴史の力が複雑に作用した結果である日韓併合を、ほんの2,3行の一面的「歴史の事実」に還元し、しかも敵対勢力相手の合意文書に盛り込むというのは、不見識きわまりない外交である。自国の歴史に対し、およそ「謙虚」な態度ともいえない。とにかく謝っておこうというなら、東横インの社長とどこが違うのか。
「強制連行」については、終戦時における在日朝鮮人200万人のうち約八割は、職を求めて自主的に渡航してきた人やその家族であったとされる。それ以外の「官斡旋」や「徴用」などで戦時動員され、内地に移送された人々も、「日本による強制連行の被害者」と呼ぶのは適当ではない。
鄭大均氏は、戦時徴用を「強制連行」とする歴史認識を批判し、「エスニック日本人の男たちは戦場に送られていたのであり、朝鮮人の労務動員とはそれを代替するものであった」とした上、次のように述べている。
朝鮮人であれ、日本人であれ、当時の日本帝国の臣民はすべて、お国のために奉仕することが期待されていたのであり、多くの者は、それに従属的に参加していた。つまり「不条理」は、エスニック朝鮮人のみならず、この時代の日本国民に課せられた運命共同性のようなものであり、したがって「強制連行」などという言葉で朝鮮人の被害者性を特権化し、また日本国の加害者性を強調する態度はミスリーディングといわなければならない。
平壌宣言は大きな譲歩
本質を突いた議論といえよう。慰安婦問題については、別に項目が立てられると聞くので、ここでは深く立ち入らないが、慰安婦についても日本側は、「官憲による強制連行」などなかった、なかったことに補償はできないと、正常化交渉の場で明言せねばならない。
平壌宣言には、「1945年8月15日以前に生じた事由に基づく両国及びその国民のすべての財産及び請求権を相互に放棄するとの基本原則」が掲げられている。請求権問題に詳しい西岡力氏の解説に聞こう。
GHQの調べでは、終戦時に日本国と日本民間人が北朝鮮に残してきた資産は鴨緑江の水豊ダムなど合計462億円、総合卸売物価指数の190をかけると、現在価格で8兆7800億円相当となる。逆に北朝鮮の日本への財産請求額は日本政府関係者の推計では現在価格で4兆円未満となる。したがって、日朝両国が請求権を行使すれば、日本が5兆円程度北朝鮮から払ってもらうことになる。
この試算に従えば、平壌宣言にいう「財産及び請求権を相互に放棄」は、日本にとって大きな譲歩であり、それ自体、多額の経済援助に等しいということになる。
日本人拉致など、1945年8月15日以後に北が行った犯罪行為に対しては、当然日本側から、被害者への補償を要求せねばならない。そして、被害者全員の解放帰国後でなければ請求すべき賠償額を確定できない以上、拉致問題の完全解決なくして正常化交渉前進がありえないことは明らかだ。
日韓国交正常化(1965年)の際提供したのと同規模の経済協力を北にも提示するのが自然、といった発想もやはり理念を欠くものである。
平壌宣言には、日本が北に、「国交正常化の後、……無償資金協力、低金利の長期借款供与及び国際機関を通じた人道主義的支援等の経済協力を実施し、また、民間経済活動を支援する見地から国際協力銀行等による融資、信用供与等が実施される」とある。日韓国交正常化の例をそのまま引き写したものだろう。
日韓国交正常化に際しては、無償3億ドル、長期低利貸付2億ドル、民間への信用供与3億ドルの計八億ドルで手が打たれた。現在価値に直すと、おおむね計300億ドル弱(3兆円)になるといわれる。
朝鮮戦争に伴う特需(朝鮮特需)で戦後復興の波に乗った日本が、逆に戦争による破壊に見舞われ、東西対立の最前線で苦闘する韓国に対し、自由陣営の一員として経済支援を行うというのは、充分頷ける戦略的判断である。
が、北朝鮮は戦争を仕掛けた側であり、しかも今なお「先軍政治」を掲げ、あらゆる自由を抑圧する敵対勢力だ。1965年の韓国と同列に扱うべき理由は何もない。
平壌宣言の欠陥はまだまだある。米朝枠組み合意(1994年)に基づく北朝鮮内での軽水炉型原発建設事業は、北の秘密核開発が発覚して中断に至った。日本も巨額を出資してきたが、これはあくまで貸し付けであり、北朝鮮側に返済義務がある。
真の「過去の清算」とは
ウラン濃縮発覚によって、「双方は、朝鮮半島の核問題の包括的な解決のため、関連するすべての国際的合意を遵守する」とした平壌宣言に、北が調印当初から違反していたことが明らかになった。厳しく責任を追及する意味でも、返済問題をうやむやにしてはならない。
また平壌宣言では、「日本国民の生命と安全にかかわる懸案問題」という曖昧な文言が拉致問題を指すとされているが、単に「(北側は)日朝が不正常な関係にある中で生じたこのような遺憾な問題が今後再び生じることがないよう適切な措置をとる」としか書かれていない。
つまり、「今後再び」拉致をしなければ、北としては合意を守っているという話になるわけだ。被害者の救出や補償問題は、文面上切り捨てられている。
日朝平壌宣言は、批准手続きを経た条約ではなく、政権トップ間の野合文書に過ぎない。単純な自虐史観を書き込むことで相手に歪曲宣伝の足場を提供し、体制の問題を顧慮することなく積極的経済支援を打ち出し、拉致被害者を切り捨て、北の核合意違反に目をふさいだ平壌宣言は、理念なき日本外交を象徴する進歩派風官僚文書である。
次期首相は、即座にこの宣言の無効を宣言すべきだろう。そして、「北がこうした態度を続けるなら、より厳しい対応を取らざるをえない」と、ただ口で言うだけという態度を続けるのではなく、実際に制裁法を発動することだ。
かつて、「東ドイツは共産主義の理想を達成した。国家の消滅を実現した」というジョークがあった。北朝鮮にも早く共産主義の理想を達成させねばならない。
北の崩壊、南による吸収統一となれば、その瞬間に「日朝国交正常化」という課題は消え去る。正常化という課題を消滅させることが、対北戦略の課題なのだ。
北の非人間的体制を生きながらえさせた“戦後責任”が日本にはある。あのおぞましい体制をつぶせた時、日本は真に朝鮮における「過去の清算」を果たしたといえるだろう。
参考文献
西岡力『日韓「歴史問題」の真実』(PHP、2005年)
鄭大均『在日・強制連行の神話』(文春新書、2004年)