首相の靖国参拝について |
安倍内閣の16閣僚がいずれも、8月15日には靖国神社に近づかない意向と報じられたが、事実とすれば、情けない話だ。最終的に、姿勢を改め参拝する閣僚が増えることを期待する(結局、高市早苗氏一人が参拝した。追記)
このエントリの後半は、2年前の8月15日における小泉首相(当時)のふるまいを批判的に取り上げた一文である。
言うまでもなく、昨年、小泉氏は、数年来の迷走に終止符を打ち、公約通りの靖国参拝を行った。中国全土における波状デモ、暴動……などは起こらなかった。
今年2月、北京で温家宝(首相)に近い研究者グループと面談した際、彼らは揃って次のように言った。
「われわれ学者は、大局を見つめ、安倍首相が靖国神社を参拝しても、大変不快ではあるが、冷静に対処する。しかし13億の中国国民が発散する怒りのエネルギーはおそらく誰にも抑え切れない。安倍首相が、靖国に行くなら行くでいい。ただ、行くのか行かないのかはっきりしてもらいたい。もっとも、行った場合に生じる事態について、全責任は安倍首相にある」
要するに、首相は靖国に行かないと明言すべきだ、ということだ。
同時に、日本の保守派同様、中共関係者も、いわゆる曖昧戦術に対して、苛立ち、あるいは不安を覚えているのであろう。
安倍首相は、秋の例大祭時ないしそれ以前に靖国神社に参拝するはずだ。
行くとも行かないとも言わず、結局行くから、曖昧戦術なのであって、行かなければ、単に、手の込んだやり方で日本国民を誤魔化そうとしたということになる。
安倍氏はそんな行動に出る人ではない、と私は信じている。
中共としては、昨年の小泉参拝時同様(というより日常的に行っているように)、「13億の中国国民が抱く怒り」なるものを、得意のメディア統制と恣意的な強権発動で抑え込むべく、早めに準備しておけばよいだろう。
『諸君!』2005年10月号 特集・私の8月15日
「東京裁判史観奉戴日」
島田洋一(福井県立大学教授)
8月15日は、朝五時に起床し、ロナルド・レーガンに関する本などを読みつつ、終日自宅で過ごした。小泉首相の全国戦没者追悼式挨拶や「首相談話」は、テレビやインターネットの速報で見たが、予想通り、虚しさのみが残る代物だった。
「植民地支配と侵略」の先兵として「心ならずも」命を落とすに至った「犠牲者」を前に、「戦争への反省を行動で示した平和の(戦後)60年」を自賛し、「不戦の誓い」を新たにするという小泉氏の認識、言動は、私が靖国神社を訪れる際、心に想うところとほとんど正反対のものだ。
国と同胞が蹂躙されるなら一命を賭しても戦うという覚悟こそ、靖国に凝縮されてあるものではないか。首相ともなれば、極度の不正を座視せず、平和主義者が何といおうが力の行使も辞さない、自己の責任において同胞を窮境から救い出すという誓いも必要だろう。
私が祀られている身なら、「辛かったでしょう、もっと生きたかったでしょう」など同情しか口にしない政治家には、魂を鎮められるどころか、「一体何をしに来たのか」と怒りと侮蔑感で、逆に魂が立ち騒ぐはずだ。
結局、小泉氏における靖国は、どこまでも東京裁判史観の枠内での哀感吐露の場に過ぎなかった。もともと覚悟と無縁の所作ゆえ、中韓の「反発」を受けるや、左翼教科書的な「談話」を出し、靖国だけは立ち寄りを避けるなど、八月十五日をかえって「東京裁判史観奉戴日」的な方向で定着させるに至った。
もっとも、この間、小泉氏の意図せぬ“挑発”のおかげで、中国の官製反日テロが惹起され、北京政権の危険な実態が明らかになるといったプラスの効果もあった。
小泉訪朝のおかげでともかく拉致問題の突破口が開けたというのと同じで、いわば「心ならずも」日本世論を正しい方向に喚起してしまったわけである。
肝心の首相自身は、その後、事を適当に収めようと散発的に動くのみで、これら突破口を北朝鮮、中国のレジーム・チェンジにつなげるといった戦略的発想はかけらも見られない。
おそらく小泉氏は、保守派の本格政権、例えば安倍晋三政権実現に向け、世間、政界を半ば意識的、半ば「心ならずも」掻き回した男として歴史に記録されることになろう。
レーガン政権の地ならしをした自由主義者バリー・ゴールドウォーターと宥和主義者ジミー・カーターを合わせたような存在として、いま、小泉政治は末期を迎えつつあるように思われる。