憐れむべきグレゴリー・クラークの迷妄 |
昨年秋、古森義久氏がブログで、グレゴリー・クラーク国際教養大学(秋田県)副学長による、拉致問題を歪曲、矮小化、あるいは日本人の民族性(クラークの浅い理解に基づくものだが)をバカにしたような言動の数々を紹介し、反響を呼んだ。
以下は、その際、関係者だけにメールした旧稿の抜粋である。当時このブログがあれば、即座に掲載したところだが、遅まきながら、いま載せておく。
『月曜評論』2003年1月号
国際政治講座⑳
憐れむべきグレゴリー・クラークの迷妄
福井県立大学助教授■島田洋一
目の見えない「国際派知識人」
12月19日、帰国した五人の拉致被害者が、新潟で記者会見を行い、改めて誤解の余地なく明確な表現で、日本にとどまり、子供たちを迎えたいとの意思表明を行った。
が、それでも誤解、というより、眼の前の動きが見えない人々がいる。
五人の記者会見から三日後、12月22日付で『ジャパン・タイムズ』に載った多摩大学名誉学長グレゴリー・クラークの「論説」はその典型だ。
クラークは、日本政府が約束を破って五人を北朝鮮に返さなかったのはとんでもないルール違反で、北が怒るのも当然だとし、さらに、北朝鮮人として育った子供たちを日本に「帰国」させろと要求するのは筋が通らないと日本人の非常識を批判している。
クラークは、北朝鮮がどんな社会であるかまったく知らないのだろう。が、そのことは構わない。今だに北の本質をつかめない「知識人」に何をレクチャーしても徒労であって、知らないまま、墓場まで行けばよい。
が、ほんの一日二日前、大々的に報道された記者会見において、北の実情を誰よりもよく知る拉致被害者本人が、「政府が方針を出す10月24日夜以前に、すでに日本にとどまる意志を伝えていた、北に戻るつもりはない、日本で子供たちを待つ」と明言した事実を知らなかったでは済まされない。
知らずに論説文を書いたのなら、クラークには、拉致問題を語る資格はない。知っていて、なおかつ五人を北に送還すべきと主張したのなら、きわめて非人間的な話であり、拉致問題に限らず、広く文化・人間社会一般についても語る資格なしと言わざるをえない。
北朝鮮で育った子供たちは、本来なら、日本人の両親の元、日本で生まれ、日本で育つはずだった。ところが金正日一派の犯罪行為により、日本の文化伝統に触れる機会を一切奪われ、両親の自由を奪った俗悪な独裁者への個人崇拝を強いられてきたのである。
蓮池薫氏が記者会見で名言を吐いていた。
「永住帰国」という言葉を自分は好まない。場合によっては、今後、たとえばアメリカなどの外国に住むという選択もありうるから。
「国際派知識人」なら最も重視すべきはずのポイントがここにある。一旦、北から日本へ脱出すれば、そこから先、アメリカへ行く、ブラジルへ行く、インドへ行くといった新たな選択肢も開けてくるのである。日本は日本に住むことを強制しない。
対して北朝鮮はどうか。
「生きてはいけないが、去ることもできない世界とは、すなわち地獄の定義に他ならない」(クリストファー・ヒチンズ)。
北朝鮮では、国外はおろか国内における移動の自由すらない。
子供たちを、北朝鮮から、両親が待つ日本へ出させるというのは、個人の自由意思を重視するか無視するかという根本原則に関わるものであって、一切妥協の余地はない。
蓮池薫、祐木子夫妻は、その後、12月27日に改めて柏崎で会見し、子供と第三国で会うなどの「妥協案」は「家族の問題が外交のカードに利用されることになり受け入れ難い」、「好きで北朝鮮に行ったわけではないし、自分たちの意思で、日本で子供と会いたいと言っているのだから、早く子供を返して欲しい」などと、明確に北朝鮮当局の対応を批判した。
グレゴリー・クラークの節穴、いや目には、この蓮池夫妻の訴えも、筋の通らない身勝手と映るのだろうか。
それにしても、クラークは、「論説」の中で、日本の「約束違反」をしつこく難じる一方、なぜ一言も、子供を人質に取るという最も卑劣な行為に出ている金正日を批判しようとしないのか。
こうした倫理観の倒錯は、先頃当選を果たした韓国の次期大統領・廬武鉉などにも通じるものだ。
今後、北朝鮮問題を巡っては、各勢力間でさまざまな綱引きが続くだろう。
日本の北朝鮮外交も、安倍晋三官房副長官が、政府を代表する形でメディアに応対しているため、一応最低限の原則は保持しているように見えるが、福田や田中均のような無原則な小野心家が官房長官、外務審議官といった重要ポジションをいまだに占めており、世論が少しでも監視の目を緩めると、水面下で、いつ、どのような利敵行為に走るか分からない状態にある。
外相・川口順子は、昨年暮れの日米外相・国防相会議(2+2)の席上、とにかく戦争にだけはならないようにして欲しいとくどくど念を押し、「アメリカは北に先制攻撃を仕掛けるつもりはない」と大統領以下何度も宣言している、一体それ以上具体的に何をするな、しろと言いたいのか、と米側出席者を苛立たせたという。
以前、この「講座」で、川口氏を「能吏が服を着て歩いているような」と評したのは褒めすぎで、むしろ「矯正不能の歩く官僚答弁」「単なるメッセンジャー・ガール」というべきだったなど書いたが、それもまだ褒めすぎだったと反省している。
優秀なメッセンジャー・ガールなら、勝手に「いらん言葉」を付け加えたりはしない。ところが、川口氏は、戦後平和主義の定型文的せりふを、日米高官協議の場でも、「日本の外務大臣の意見」として、折に触れ口にしているらしい。
こんな人物を外相に据えていると、今後、情勢が緊迫していく中、重大な攪乱要因、ブレーキとして作用しかねない。即刻、誰か多少なりとも「有事に強い」人と入れ換えるべきである。
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